これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年1月29日「御心ならば」マルコによる福音書1章40~45節

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 今日の聖書箇所で主イエスがなさっておられるのは、重い皮膚病の方を癒すことです。出来事自体は難しくはない易しい事柄です。三つのポイントをみていきましょう。まず第一に、この方自身の信仰です。40節。十字架や復活よりも前の出来事ですから、救いについてよく分かっているわけではありません。しかし、「この方ならば癒す(清くする)ことができる」と信じます。論理的・体系的に整った信仰ではなくて、まっすぐに純粋に信じることが大切です。
 第二に、お癒しになられたときの主イエスの気持ちです。41・42節。「深く憐れ」んだ。これは、自分の内蔵までも痛むようにして共感したという言葉です。更に、写本によっては「お怒りになって」という言葉のものもあります。主イエスは病のゆえに苦しみ、さらには社会的・宗教的にも苦しめられている者を深く憐れみ、あるいは、そのような社会のあり方に憤って、癒します。
 第三に、癒した後の出来事に注目しましょう。43~45節。ここには以前にもお話致しました「メシアの秘密」のモティーフがあり、更に、それでもなお広まっていく主イエスの評判があります。しかしそればかりではなくて、主イエスは、「ただ、…」と命じておられます。これは単に主イエスが、当時の律法に従って行動するようにと勧めただけではなくて(勿論それもありますが)、この方が、完全に社会復帰することを望まれたということです。
 最後に、「御心ならば」について、ゲツセマネの祈りを参照して、思いを深めましょう。何でもおできになる神様が、しかし苦しみを必ず排除なさるわけではない、そこには神の主権と神の(私達には秘められた)計画があります。