これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年4月9日「主イエスの家族になる」マルコによる福音書3章31~35節

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 今日の聖書箇所は、21節と共に、ベルゼブル論争を挟み込んでサンドイッチの構造になっています。21節と31節。21節の「身内の人たち」は意味の幅の広い言葉で、31節は必ずしも否定的な意味に読む必要はありません。しかし合わせて読むと、主イエスを呼んだ(自分たちから主イエスの所に来ないで)意味がよく分かります。気が変になってしまったらしい主イエスを取り押さえにきました。
 32節からは、一繋がりです。まず32節。主イエスの周りに大勢の人が座っていました。そこへ、主の家族の人たちが来たと主イエスに告げられます。主イエスは答えます。33~35節。主イエスの語っておられることは明白です。血のつながった家族が家族なのではない。主イエスがそうであられるように、神の御心を行う人が、主イエスの家族なのだ。しかしそれでは、「神の御心を行う」とは、どういうことでしょうか。山上の説教(マタイ福音書)でも、このことが強調されています(7章21節)。様々に捉えることができますが、この箇所から分かることは、主イエスの傍にいて、主イエスの話に熱心に聞き入っていることです。主イエスは、その場にいる人々こそ、主イエスの母、兄弟と語ります。その場にいる人々は、何か特別な良いことをしていたのではありません。ただ、主イエスが語り、人々は聴いています。(マルタとマリア、参照)。今日、棕櫚の主日に当って、私達はただ主の傍におり、そして主の言葉に熱心に耳を傾ける私達でありたいし、主が聖霊によって私達をそのように導いて下さることに感謝しましょう。