これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年4月30日「御言葉が蒔かれて」マルコによる福音書4章13~20節

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 前回から、この福音書の、最初のたとえ話集がはじまりましたが、今日の箇所は、主イエスご自身によるたとえの説明です(尤も実際は、後の教会による解釈と推測されますが、私達は「事実主義」に立つ福音派ではないので、この記事もまた正典にあるので大切であること、9節までのたとえが今日の箇所に束縛されないで様々に読むことができることをわきまえておきましょう)。

 13節は、物分かりの悪い弟子たちへの叱責の言葉です。この言葉が語られた当時の弟子たち、また私達に対しても、主イエスが語られたたとえをきちんと受け止めなさいということでしょう。14節は、種=御言葉。15節から19節(今日の箇所の大部分)は、種を蒔いても、うまくいかない現実です。様々な理由で実らない現実もあります。しかしそこまでの文章をひっくり返すようにして、神の国・神の言葉の豊かな実りの現実が語られます。20節。

 今日の箇所では、三つのことに特に注目します。一つ目は、「聞いて受け入れる」ことです。聞くだけで終わってしまっては、また聞いた直後だけ喜んで受け入れても本当には自分の現実にならないのでは、実りません。聞いて受け入れる、すなわち自分の生き方の基本・根本に神の言葉が位置してはじめて、豊かな実を結びます。二つ目に、種がたとえの中で、神の言葉から神の言葉を聞く私達(…人たち)へと変化している事実です。このことにこそ、神の言葉の不思議な力があります。第三に、この「三十倍、六十倍、百倍」は、私達が常にイメージとして大切にしてよい事柄です。伝道の人数としても、私達の中での信仰の成長としても、神の国の広がりの現実としても、私達はこのイメージに支えられ励まされて、励みましょう。