これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年6月18日「タリタ、クム」マルコによる福音書5章21~43節②

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 今回は前回と同じ聖書箇所です。前回、出血の止まらなかった女をみました。今日はヤイロの娘をみます。サンドイッチの形のパンの部分です。きっかけは、21~25節。とにかく主イエスが来て、手を置いて下されば、という信仰です。前回の女と同様に、この会堂長の信仰もまた、一途なまっすぐなものですが、決して整った信仰ではありません。そして34節までが出血の止まらなかった女の記事で、35節から再開します。35~37節。会堂長ヤイロは、もはや語ることも行動することもありません。主イエスが主導権をもって、ただ、娘が亡くなったと聞いて諦めかけるヤイロを励まします。「恐れることはない。ただ信じなさい」と。一番身近な弟子たち三人だけを伴って、ヤイロの家に行きます。38~40節。亡くなった時、葬儀の時の様子は風習によって様々です。ただ、亡くなったことだけは確かです。主イエスは、人々にあざ笑われます。たった五人を伴って、主イエスはこの少女と向き合います。この出来事は、最後の(43節の)禁止命令がありますから、主イエスの復活の後にこの三人の弟子たちによって伝えられたのでしょう。主イエスは、少女の手をとって、「タリタ、クム」と仰います。
 この少女の復活は、単なる蘇生です。ラザロややもめの一人息子と同様に、いつかは時が来て死ぬことでしょう。主イエスの二度と死なない復活や、私達の終わりの日の復活とは異なります。しかし、この出来事は、復活の先触れとして、神が死をも越えて支配なさる方であること、主イエスがそれをなすことを示しています。「タリタ、クム」。信仰をもって生きはじめて、それ以前は死んだようであった倒れたようであった私達もまた、主イエスからこう呼びかけられて「起きた」のです。そして今も私達が倒れそうになる・倒れてしまう時に、主イエスは、「タリタ、クム」と励ましていて下さいます。