これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年7月9日「罪の恐れが生むもの」マルコによる福音書6章14~29節

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 前回の聖書箇所で、主イエスは十二人を派遣なさり、次回の箇所では帰って来た使徒たちが報告をします。ですから今日の記事は、派遣と帰還の間を埋める記事です。なぜマルコは、この記事をここに置いたのか。ヨハネが実際に殺されたのは、もっと早い時期だったでしょう。しかしマルコは、あえてこの位置にこの記事を置きます。描かれているのは洗礼者ヨハネの殺害ですが、この記事を読むと、ヨハネよりもヘロデ(王ではなくて実際には領主、主イエスのお生まれになった時代のヘロデ王の子)やヘロディア、更にその娘サロメ(?)が物語の主要人物です。ヘロデ自身は、ヨハネを殺したくはありませんでした。20節。ヨハネの語る言葉を真剣に受け入れて悔い改めはしませんが、喜んでいる姿はあります。そして、ヘロディアの策略によって、殺さざるを得ない所に追い込まれます。まず、ヘロデの、「この国の半分でもやろう(23)」という誓いは、不可能です。しかしヘロディアの願うヨハネの首であれば、可能です。この時のヘロデの心の葛藤を聖書は描きます。26節。ヘロデは、自分の本当の願いよりも、自分の体面を優先してしまいました。最後に描かれるのは、自分の師を埋葬するヨハネの弟子たちの敬虔な姿です。
 私達の罪は、そしてこの罪から生まれる恐れは、主イエスの道備えをするために現れたヨハネを殺します。「正しいこと」よりも「体面」を大切にした結果です。そしてマルコが描き出すのは、そのような私達人間の罪の現実にもかかわらず、福音が告げ知らされていくという現実です。ヨハネが殺されてなお、主イエスが現れ、主イエスはご自身が福音を告げ知らせるだけではなく、弟子たちを宣教に遣わされます。この世の権力が、罪の恐れから福音を伝える者を殺しても、福音は広がっていく。まさに主イエスの十字架と、十字架を越えて広がる福音の現実の予表がここにあります。