これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年7月30日「人間の言い伝えと」マルコによる福音書7章1~13節

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 前回の最後が、まとめの箇所であったことからも分かりますように、今日から新しい箇所になります。今日の区切りは、23節までと迷いましたが、短い方にしました。1・2節は、主イエスの評判が広く知れ渡るようになったので、エルサレムからもその様子を調べるために専門家が来たのでしょう。そして3・4節は、既にユダヤ人の慣習が分からない異邦人が読者であることを想定しての解説です。1~4節。出来事は、5節からはじまります。5節。この問い自体に悪意は感じられません。率直に問うているのでしょう。この問いに対する主イエスの答えでこの箇所は終わります。答えの前半が8節まで、9節から後半です。6~8節。イザヤ書29章13節、70人訳からの引用です。人間の言い伝えを大切にして、神の掟がないがしろにされている現実を指摘なさいます。更にその最もはっきりした具体例を9節から語ります。最後纏めて、9~13節。
 この主イエスの答えは、人間の言い伝えばかりを大切にすることの矛盾は、語りますが、厳密に言いますと、最初の問い、なぜ手を洗わないで汚(けが)れた(汚(よご)れたではありません、衛生的なことではなくて宗教的なことが問題になっています)手のままで食事をするのかという問いに対する答えにはなっていません(それは次回に群衆や弟子たちに語られます)。今日の箇所の「コルバン」の問題は分かりやすく、偽善者たちが、神に従っているようでありながら、様々な形で、神の掟をないがしろにしている具体例を挙げています。「神への供え物」だという留保をつければ、父母に対する養育の義務から逃れることができるという理屈です。私達の時代に、こういう問題はないかもしれませんが、私達もまた、様々な理屈をつけて、最も大切にすべき神の掟をないがしろにしてはいないでしょうか。「本当は何が大切か」を見極める信仰の眼差しをもちたいものです。