これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年8月27日「主イエスのなさったことは」マルコによる福音書7章31~37節

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 前回(先々週)は、シリア・フェニキア生まれの女でした。それ以前に出てきましたファリサイ派や律法学者の人々の間違いや、群衆と弟子たちの無理解が際立つ、必死だけれども謙遜で、ウィットに富んだ女の応答でした。今日の箇所は、これまでの箇所を纏める箇所です。また、前回の出来事の結果、主イエスがイスラエルだけではなくて異邦人のためにも神から遣わされているのだという、新しい自覚に呼応しています。31節。地図を開いていただければすぐ分かることですが、ガリラヤ湖に戻ってくるのにずいぶん遠回りをしています。マルコがこの地域の地理に疎いのでこうなってしまったという解説もありますが、むしろ、異教の地域を廻ってきたと読みましょう。しかも最後はデカポリス地方です(豚の大群の話を思い出して下さい)。主イエスの評判はイスラエルの枠を越えて広まっていますから、32節。願いは、手を置くことだけですが、主イエスはそれ以上のことをなさいます。33~35節。丁寧に触って、言葉も。この出来事は、イザヤ書35章との関連が指摘されています。
 次は、これまでに何回もでてきました、沈黙のモティーフと、それにも関わらず広まっていく事実です。36節。今日の聖書箇所最後の37節は、マルコ以前の出来事集のまとめの言葉でもあったと推測されています。勿論、救いの達成は主イエスの十字架と復活まで待たなければなりません。更に、今も私達は救いの完成を心待ちにしています。しかし主イエスが来て下さったことで、終り・終末の時、救いの時は既に今、はじまっています。私達は、37節にその喜びをみますし、私達もまた、この喜びを共にして生きます。「この方のなさったことはすべて、すばらしい」。