これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年10月29日「自分の内に塩を持て」マルコによる福音書9章42~50節

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 今日で9章が終わります。8章でペトロが信仰告白をして、それを受けるようにして主イエスは受難予告を語ります。更に山上の変貌などあって、主イエスはもはや大勢の群衆を憐れむことよりも、十字架を目指して、弟子たちの薫育を活動の中心に置かれます。その一つの言葉として、前回41節です。実は今回の区切りに関しては、41節を(新共同訳聖書のように)前回の箇所に含めるか、今日の箇所の冒頭にするか意見の分かれる所です。ただどちらの読み方をしてもはっきりしていることは、主イエスの言葉を覚え易いように、連想ゲームのような形をしていることです。前回41節は、キリスト者に対する親切でした。42節は真逆に、つまずかせる者。43~47節は自分の体の一部がつまずかせるならば、それを捨てても天国に入る方がよい。48節は、その逆に地獄の話です。地獄の火から、49節では火で塩味を付けられる。そして50節では、塩を自分自身の内に持ちなさいという戒めです。かつて書物がまだ貴重であったときには、アルファベット歌(日本で言ういろは歌でしょう)や、このように連想を用いて思い出し易くする工夫がなされていました。今日の箇所では、最終的に、自分自身の内に塩を持ちなさい、互いに平和に過ごしなさいという教えです。これは「誰が一番偉いか」などどいう競争主義からは生まれてきません。ただ平和の王として歩まれた主イエスに従っていく時に与えられる歩みです。この言葉に似たものとしては、「いつも、塩で味付けられた快い言葉で語りなさい」(コロサイ4章6節)があります。ではどうしたら私達は自分の内に塩を持つことができるのでしょう。十字架に死んで私達の罪を全て赦し、復活によって神の国・永遠の命を約束して下さった主イエスの後にただ従っていく時に、無理をしてではなくて、自然に、そのような歩みが形作られていきます。まっすぐ主に従い、塩を持ちましょう。