これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年11月12日「神の国を受け入れよう」マルコ10章13-16節

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 結婚(離婚)のこと、子どものこと、富のこと、三つのテーマが続きます。今日は二つ目の子どものことです。まずこの箇所には、主イエスの憤りが描かれています(マタイやルカでは省かれている)。何を見て主イエスは憤られたのでしょうか。13節。子ども達を連れてきた「人々」は、誰だか分かりません。弟子達は、既にエルサレムへの途上にあって(32節で明確になりますが)、主イエスの緊張感を感じていたのでしょう。もはや子どもにかまっている場合ではない、そう判断して、主イエスのために、子ども達を遠ざけようとします。しかしそれは主イエスの御心に適うことではありません。だから主イエスは仰います。14・15節。そして子ども達を祝福します。16節。
 この箇所からまず分かることは、主イエスが(当時は半人前として大切にされてはいなかった)子ども達を受け入れる方であるということです。また、神の国・天国に入ることができるのが、どのような者であるか、ということです。まず14節では、「神の国はこのような者たちのもの」と語られます。そしてすぐに続けて、(はっきり、アーメンと強調して)「子どものように神の国を受け入れる人」と仰います。子どものように受け入れるとは、どういうことでしょうか。純真無垢ということではありません。大人になると、自分が子どもの頃のことを忘れて、勝手に子どもに対してそういうイメージを持ちがちですが、そうではありません。誰かに頼らなければ生きることができない、弱い存在です。そして、次回の金持ちの男が「何をすれば」と入り口で間違えてしまったように、何かをして天国へ入ろうという姿勢・心持ちを最初から持たないことです。今日、私達は永眠者(召天者)記念礼拝としてこの礼拝を神に献げています。信仰の先達方は、自分で努力して理解して洗礼を受けたから、その業績によって神から認められて天国に入れるのではありません。自分の力では神の国に入ることができないことが分かったからこそ、子どものように主イエスを神の国を受け入れて、神の国に受け入れられました。