これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年12月3日「神は何でもできる」(マルコによる福音書10章23~34節)

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 前々回、前回と二回、直前の「金持ちの青年」の箇所でした。彼は寂しく去っていきました。その後主イエスは弟子たちに語ります。23節。これは当時の常識とは異なる言葉でした。だから弟子たちは驚き、主イエスは更に言葉を続けます。24・25節。「らくだが針の穴を通る」は、様々な「もっと読みやすくする」解釈がなされました。しかし私達は、このままに、つまり全く不可能なこととして読むべきでしょう。弟子たちは、26節。(当時の常識では)神から愛されているはずの金持ちでさえも神の国に入ることができないとしたら、いったい誰が?弟子たちの率直な感想です。主イエスは、(金持ちの青年の時と同じように)弟子たちを見つめて仰います。27節。この後のペトロの主張と主イエスの答え、また三度目の受難予告は次回にみます。今日は、「神は何でもできる」に集中します。私達は、この金持ちの青年と同じでしょうか。日本国内の相対的な意味でいえば、皆さんの中には金持ちの方もそうでない方もおられるでしょう。しかし地球全体でみれば、私達は皆、(飢えに苦しむことなどないのですから)金持ちです。この箇所について、パウロのローマの信徒への手紙3章のように、「正しい者はいない。一人もいない」という意味にとって、「誰でも」と読み取る方もいます。確かに、富に限らず、神ではないモノに、神の如くに頼る罪という点では、誰でもそうです。しかしまた、そのように厳しく読むまでもなく、「財産のある者が…」と言われた時に、私達の殆どは、その中に入るのではないでしょうか。しかし、「神は何でもできる」のですから、私達はこの神にのみ、まっすぐに頼りきる時に、神の国・永遠の命は、近いのです。