これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年12月10日「従う者への報い」(マルコによる福音書10章23-34節②)

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 前回も同じ聖書箇所で、「神は何でもできる」に集中しました。金持ちには、永遠の命・神の国は難しいけれども、「神は何でもできる」ことに希望があります。この主イエスと弟子たちとの対話の直後に、弟子たちを代表してペトロが言い出します。28節。悲しみながら立ち去った金持ちの青年と自分たちは違うという思いでしょう。主イエスは思い違いをしているペトロ(弟子達)をいさめることもできたでしょう。しかし、大いなる報いを約束なさいます。29~31節。まず注目したいのは、後の世での永遠の命(30節)の約束だけではなくて、「今この世で」、(迫害も予告されますが)、百倍の約束があることです。二千年以上のキリスト教の歴史において、この主イエスの約束は実現したのでしょうか。確かに大勢の方々が迫害によって殉教しています。それでもなお、私達はキリスト者・信仰者の実感として、この主イエスの約束は実現しているといえるのではないでしょうか(二コリント6章1~10節参照)。この主の約束は、実現しています。ただし、三つのことに注目しましょう。まず第一に、「わたしのためまた福音のために」(29節)です。第二に、捨てる方には「父」がありますが、受ける方には「父」がありません。第三に、先と後の逆転(31節)です。
 そして主イエスは、「殺される」という明確な目的をもって、エルサレムへ行かれる。先頭に立って。32節前半。そして三度目の(記事として三度目であって恐らく主イエスは何回も語っておられる)受難と復活の予告を語ります。32節後半~34節。この十字架と復活こそが、主イエスの従う者への約束の根拠であって、全てを捨てて従う者がその功績のゆえに報酬を与えられるのではありません。さあ私達も主イエスに従いましょう。