これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年1月21日「主がお入り用なのです」(マルコによる福音書11章1~11節)

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 今日の聖書箇所からエルサレムでの日々がはじまります。教会の伝統的な日にちの数え方によれば、今日のエルサレム入城が日曜日で、一週間の間の出来事が今までの箇所よりもはるかに丁寧に物語られていきます。1~3節。これらの町は、エルサレムからすぐ近くです。エルサレムにいる間、主イエスはベタニアの友人の家に泊まります。入城間近に主イエスは二人の弟子に命じました。そしてその通りになります。4~6節。主イエスが前もって用意なさったのか、それとも(現代でいう)超能力のような特別な力で見抜いたのか、どちらか分かりませんが、仰る通りです。そして、7~10節。壮大な入城の様子が描かれますが、ローマ帝国の官憲が現れない所から、都中が騒然となるような出来事ではなかったようです。この箇所の要点は、主イエスが「平和の王」(旧約聖書に預言されているように)として入城したことです。そしてマルコ福音書では、この日は特別なことはしないで、ベタニアにいきます。11節。神殿の境内に入って様子を見たとき、既に主イエスは次の日になさることを考えておられたのかもしれません。
 今日の箇所の中心は、主イエスが軍馬を駆って登場するような「力の王」ではなくて、平和の王、この世的な力に頼るのではなくて、ただ神のみにしっかりとより頼んで平和を形作る方であることです。しかしまた同時にこの箇所の、「主がお入り用なのです」は、自分の小ささに気が付いていながらも、こんな自分を用いて主がことをなして下さることへの喜びと感謝をもって多くの方々を捉えてきました。ちいロバ先生のことなどは、多くの方々がご存じであられると思います。私達は、小さく無力な存在に過ぎません。しかし主が用いてくださる、「お入り用」として下さる時に、主に用いられて様々な働きをなさせて頂くことができるのです。私達の心の扉の所まで、主イエスは来て下さっています。私達は主の、私達の心の中への入城を拒むのではなくて、喜んで迎え入れて、用いて頂きましょう。