これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年2月4日「強盗の巣に」(マルコによる福音書11章12~19節)

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 今日の聖書箇所は、14節までと15節からの二つの箇所になります。14節までの箇所は、次回20節からの箇所と共にみます。主イエスがなぜ季節でもないのに実がなっていないいちじくの木にこんなに厳しい言葉を掛けられるのか、次回みます。今日は、いわゆる宮清めの出来事に集中します。マタイやルカでは、この出来事はエルサレム入城の日に起こっていますが、マルコでは次の日です。主イエスが一番激しい、暴力的な行動をなさるのですが、決して人に危害を加えてはいません。15.16節。主イエスは台や腰掛けをひっくり返すだけです。物を運ぶことを許さないだけです。両替人や鳩は、当時必要なものでした。少なくとも年に三度の大きな祭りの時には(今回の過越祭はなかでも最も大きなお祭りです)、宮に詣でることが求められていました(実態は分からないが、敬虔な人々は少なくともそうしていたようです)。そして、当時一般にはローマの貨幣が使われていたので、神殿でのみ使われる昔の通貨に両替しなければ、献金ができません。また貧しい人々は、供え物として鳩をささげることが定められていましたから、鳩が手に入らないと、神殿で動物の犠牲をささげることができません。こんな必要な制度をなぜ主イエスは強盗の巣だと仰るのでしょうか。17節。本質的には、祈りではなくて別のことの場所になってしまっていることが、強盗の巣です。例えば、祈りではなくて政治の場にしてしまうことなど。本来の姿でなければ、それは、「強盗の巣」とさえ呼ばなければなりません。そして今一つには、そのように規制を設けることで、ある種の人々が不当に利益を得ていることです。私達は主イエスのことの怒りと、神の家・主イエスの家が祈りの家であって、私達は教会としてこの祈りの家を引き継いでいる、そのことをどれだけ大事にしているかが問われています。そして最後、18.19節。私達は彼らのように「恐れ」に基づいて行動するのではなくて、愛・信仰・希望に基づいて、祈りの家を大切にしましょう。