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日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年2月18日「権威を問う」(マルコによる福音書11章27~33節)

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 エルサレム入城以降の出来事のなかには幾つもの論争物語がありますが、今日の聖書箇所はその最初のものです。まず、祭司長、律法学者、長老たち(一つ目の受難予告に出てきた人たち、当時の権力者たち)が問います。27・28節。「このようなこと」は、前日の宮清めの出来事をまず指すかと思いますが、それと同時に主イエスがガリラヤ地方でしてきた宣教活動の全体も含むでしょう。また神殿の境内で様々に語られたことも含まれるかもしれません。自分たちこそが、この神殿で権威ある者たちなのだと考えている彼らは、自分たちの権威のゆえに、主イエスの、このようなことをする権威を問います。主イエスは、まっすぐに神の・また神の子である自分の権威を答えてもよいです。しかし主イエスは分かっています。自分の神の子としての権威を認めない人々にそれを語っても受け入れられない。また認める人々は、主イエスが宣言なさらなくても、主イエスがお語りになる言葉そのものによって、権威が分かる。
 だから、答えます、29・30節。彼らには答えることのできない問いです。もしも彼らが、「天から」と答えれば、「私もだ」と答えることができます。また「人から」だと答えれば、主イエスは、「ヨハネのことを理解できないあなたがたは、私のことも理解できない」と仰ることでしょう。しかし彼らは、31~33節前半。彼らの意見は明白です。「人から」です。しかし彼らは、「群衆が怖かった」ので、「分からない」と答えます。彼らには、真実の意味での神への畏れがありません。だから、人を恐れ、答えることができません。主イエスは仰います。33節後半。この出来事は、時の権力者たちの問いを主イエスが上手にかわしたというだけの話ではありません。神の権威に生きるはずの人々が、人々を恐れて、神の権威をないがしろにしていることが問題です。あなたは人の権威に服従しますか、それとも神の権威に服従する自由を生きますか。