これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年3月18日「一番大切な掟、愛」(マルコによる福音書12章28~34節)

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 今までの二つの議論は、主イエスに対する敵意・悪意に満ちたものでした。しかし今日の律法学者はそうではありません。28節。「立派な」というのは、マルコ記者と共にこの律法学者の評価でしょう。彼の問いは、当時の掟だらけのユダヤ教では尤もなものでした。律法の何もかもを覚えて守るというのは専門家でもなければ、一般の庶民には難しい。だから、簡単にまとめるとどういうことになるのかというのは、大切な課題です。主イエスはお答えになります。29~31節。「第一」を問われているのに、神を愛することと隣人を愛することの二つを主イエスは答えています。ここで大切なことは、二つの愛が一つだということです。どちらか片方だけというのでは、神の掟として十分ではありません。神だけというは、抽象化してしまいます。また人だけというは、愛の根源である神が抜けてしまい、これもまた逆の意味で抽象的です。この二つの愛について、今日は三つのことを申し上げましょう。まず第一に、愛は、感情ではなくて行為です。第二に、隣人への愛において大切な「自分のように」の意味です。私達は、自分が自分を愛するのは当然のことだと勘違いしていないでしょうか。「神に愛されている自分」においてだけ、自分を愛することもまた真実になり、そこでだけ、隣人を自分のように愛することができます。ただし第三に、私達は愛することができない自分の罪に気が付く必要があります。だからこそ、主イエスは神の子でありながら、十字架に死んで私達を赦します。そうして私達は、「神を愛して隣人を愛する」喜ばしい生を生きます。
 律法学者は言います、32.33節。ここで献げ物がどうでもよいと言っているのではありません。神への愛として献げられるのでなければ意味がありません。最後に、34節。「遠くない」の意味が様々に議論されていますが、私は単純に主イエスからの招きの言葉だと思います。最後の一歩を踏み出して、救い・神の国へ来なさいという励ましと招きの言葉なのです。