これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年7月8日「義の実を受けて」(フィリピ1章1~11節②)

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 前回は、フィリピの信徒への手紙を読む上で知っておきたい三つのことを確認し、また8節までをみました。今日は残りの三つの節、パウロの祈りをみましょう。「そして」よりも前の部分が、現在の祈り、「そして」よりも後が、キリストの日(再臨・終末)へ向けての、将来への祈りです。まず前半です。9節・10節前半。既にフィリピの教会の信徒たちには、愛があります。教会の中での愛、外の人々への愛、更には伝道者パウロへの愛があります。しかし現状に満足するのではなくて、更に愛がますます豊かになるようにとパウロは祈ります(ただ量的に増えるのではなくて、溢れ出るように!)。そのために大切なことは、知る力と見抜く力を身に着けることです。ラインホルド・ニーバーの有名な祈りを思います。「変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる冷静さと、その両者を識別する知恵を与えて下さい」。その結果、何が重要なことで何が重要ではないことかが見分けられるようになります。すべての基準は、「愛」です。
 そして、10節後半。私たちはこのことについて、自信満々で、「私は清い、とがめられるところがない」などとは言えないでしょう。自分自身の現実を振り返ればすぐに分かることです。しかし、自分の力・努力で、それを目指していくというのではありません。最後、11節。すべてのポイントは、ここにあります。私たちは自分で努力することの虚しさ(確かにそれが必要な面もありますが)を知ると共に、こんな私にもあふれるほどに与えられる、イエス・キリストによる義の実を受けとることができます。そのとき、私たちはパウロと共に「もはや私が生きるのではない、私の内にキリストが生きる」ということを実感し、神の栄光とほまれとをたたえつつ、喜ぶことができるのです。