これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年7月15日「ますます勇敢に」(フィリピ1章12~14節)

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 前回までの二回が最初の挨拶で、今日の箇所から本文に入ります。26節までが一纏まりなのですが、これを三回に分けて、7月中見ていく予定です。まず12節で、パウロはフィリピの教会の人々に訴えます。知ってほしい。恐らく手紙やエパフロデトの派遣によって、フィリピの教会の人々は、パウロの様子を知りたがったことでしょう。パウロは獄中にあって弱ってはいないだろうか。何か不足があって困ってはいないだろうか。しかしパウロがまず述べるのは、自分自身のことではなくて、福音のことです。福音の前進のことです。12節。「わたしの身に起こったこと」とは、投獄のことでしょう。なぜパウロの投獄が、福音の前進に役立つのでしょう。実際、フィリピでの出来事(使徒言行録16章)では、投獄された時に、地震が起こって、看守とその家族への伝道ができ、リディアと共にフィリピの教会の礎となりました。そのときのことをこのパウロの言葉を聞いて、フィリピの教会の人々は思い起こしたことでしょう。今回の事情は?13・14節。二つのことがあります。まず第一に、パウロの投獄が(犯罪によるものではなくて)ただひたすら、キリストのためであることが、人々に広く知れ渡ったことです。パウロの投獄されても落ち込まないで生き生きとしている姿(喜んでいる姿)は、当時既に広まっていたであろう、キリスト教に対する偏見を大きく揺るがしたことでしょう。二つ目は、多くの主に結ばれた兄弟たちの中に、確信を得て、ますます勇敢に御言葉を語る人々が現れたことです。もしも日和見的な人々が大勢いて、「パウロ先生が捕まったのなら、私たちは福音伝道を少し控えよう」ということになってしまっては、こうはいきません(そういう人々もいたことでしょうが)。たとえ投獄という人間的にみればとても悲惨な出来事であっても、ひたすら「主のために、福音の前進のために」であるときに、神はそれをも伝道の前進のために用いて、私たちをますます勇敢にしてくれます。(私たちではなくて)福音が前進するためにこそ、祈りましょう。