これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年8月26日「思いを一つにして」(フィリピの信徒への手紙2章1・2節)

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 今日から2章に入りますが、1章27節から新しい単元に入りましたから、前回と今日の箇所とは密接に結びついています。前回、「一つの霊によってよってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦」(27節)うことが勧められていました。前者(一つの霊…)は、神のしてくださることですから所与の事実であり、後者(心を合わせて)は、確かに究極的には「神によること」ですが、私達キリスト者の努力・関与の必要なことでもあります。そこでパウロは、今日の箇所で、この「心を合わせて」をもっと丁寧に勧めていきます。まず、1節は、2節の前提としての事実を述べます。1節。「…なら」と言われますと、私達は、そうではない可能性を考えます。しかしこの箇所は、「…なのだから」と読むべきです。あなた方には、四つのものがある。だから、…(2節の勧め)、です。まず一つ目は、イエス・キリストの十字架と復活とに基づくキリストの励まし(慰め)です。信仰を生きるならば、この励ましに生きていないはずもありません。そして二つ目は、神の愛です。神は、独り子イエス・キリストを下さるという仕方で、私達を愛しておられます。この愛の慰めです。三つ目は、(神の、またキリストの)霊の交わりです。私達は、このような神との交わりに生きるので、互いの間でも、慈しみや憐れみの心をもつことができます。この四つ(三位一体の神のものと、その結果)を根拠としてパウロは勧めます。2節。この場合、パウロの喜びは、利己的なものではないので、同時にフィリピの教会の人々の喜びでもあり、更には神の喜びです。パウロの当時係わっていた教会にも、フィリピの教会にも(4章2節以下)、また後の教会にも不一致はありました。私達人間の弱さ、罪深さがどれほど根深いものであるかがよく分かります。真剣に真面目に取り組むからこそ、どうしても譲れないものがでてきます(プロテスタント三派が一致できなかったのもそうです)。だからこそ、思いを一つにすることを目指します。そしてその大切な根拠が(次回の)キリストに倣うへりくだりなのです。私達一人ひとりがどれほど異なっていようと、ただ信仰の故に思いを一つにしていきましょう。