これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年9月2日「真実のへりくだり」(フィリピの信徒への手紙2章3~5節)

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 前回の中心は、思いを一つにすることでした。一つの目当てに集中することで、それぞれが異なるとしても一致できます。そしてそのために必要なことは、「へりくだり」です。へりくだりには、見せ掛けのへりくだりと真実のへりくだりがあります。見せ掛けのへりくだりとは、態度だけで中身のないものです。実際には、自分は優秀だ、たいしたものだと思いながら、謙遜な態度が高く評価されることから(ギリシャにはそういう言葉の使い方はないそうです)、そういう態度だけをしてみせます。ここでパウロが勧めている「真実のへりくだり」は、そのようなものとは全く異なります。3節。最初の二つは、否定的な言葉で、後の二つは積極的なものです。利己心や虚栄心は、神のおられない所(もしくはまるで神なきがごとくに思う所)にある心です。逆に、真実のへりくだりは、神の恵みの事実(十字架と復活において示された)に立つ時に、当然起こってくるものです。「わたしは」、神の前に自分の力でそもそも立つことができるでしょうか。ただ、神が十字架においてわたしの罪を赦して下さったゆえに、私達は立つことができます。神の恵みを真剣に受け止めるならば、「真実のへりくだり(決して見せ掛けではない)」に生きる他ありません。そしてそれは、「相手を自分よりも優れた者と考え」ることになります。優秀な方ほど、これは難しいことであるかもしれません。しかし人間全てに点数をつけて序列化する発想でなければ、誰でも神から与えられた特別な賜物があること、そしてその賜物に目を止める時に、自分よりも優れた者と考えることができます。4節。ここでは特に賜物のことが考えられているといってよいでしょう。そしてこの真実のへりくだりは、決して私達の中から出てくるものではありません。ただキリストを模範として学ぶものです。5節。キリスト・イエスにもみられる。 6節からそれを具体的に見ていくことになります。私達は、信仰のゆえに真実のへりくだりを生き、それだから、思いを一つにしましょう。