これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年11月11日「復活の力を知って」(フィリピの信徒への手紙3章8~11節)

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 今日は召天者記念礼拝です。私達は現在フィリピの信徒への手紙を講解で読んでいます。丁度今日の聖書箇所は復活が出てきますので、特別な聖書箇所を選ぶのではなくて、講解説教を続けます。ただ、前回は9節まででしたが、最後の二節だけでは分かりにくいので、8節から読みました。3章からのパウロの論議は、律法遵守や割礼を大切だと主張するユダヤ人キリスト者に対抗するものです。彼らの特徴の一つは、自分たちはもはや完全な知識をもっていて、完成しているという主張です。パウロが復活について一番詳しく書いているのはコリントの信徒への手紙の最後の方ですが、今日の箇所は、福音を無にする(キリスト以前に律法遵守と割礼が必要なのだとする)ユダヤ人キリスト者との対決を通して、復活についてのパウロの意見がよく出ています。
 前回パウロは、主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、すべての価値が逆転することを語りました。そこではもはや、自分が努力して到達する「義」ではなくて、ただ信仰において与えられる義があります(8・9節)。パウロは、自分はキリストを既に知っていると語りますが、同時に完成はまだなのだと語ります。既に十字架と復活の恵みを知ることと、完成は未だしてはいないのだ、この「既に」と「未だ」の間にこそ、私達の信仰の特徴があります。敵対者たちのように「既に完成している」というのは偽りです。パウロの「知ることのすばらしさ」は、更に「キリストとその復活の力」を知ることのすばらしさです。10節は現在のこと、11節は将来の希望です。10節。復活は主イエスが自分の力で復活なさったのではなくて、神が主イエスを復活させました。だから復活の力とは、神の力です。この力を知るとき、私達は苦しみを耐えることができます。それどころか、この苦しみにおいて主イエスの十字架の死の姿にあやかり、より深く十字架と復活の信仰を生きる者とされます。私達の完成・救い・復活は、まだです。11節。ただ神の約束して下さる復活を目当てに今を真剣に生きます。