これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年12月9日「本国は天にあり」(フィリピの信徒への手紙3章18~21節)

 

 前回はパウロが「わたしに倣う者となりなさい」と勧める箇所でした。パウロは今獄中にいます。フィリピの教会の人々の所へ行って励ましたいのだけれども、それは、できません。だから、エパフロディトやテモテを送ります。丁寧に手紙を認めます。パウロが敵対している人々は、主イエスの十字架だけでは不十分であって、他にも必要なものが色々あるのだと主張していました。それは、「十字架のみ」を否定することになりますから、「キリストの十字架に敵対」することになります。そういう人々に流されないで、しっかりと立つために、パウロは自分に倣い、自分と同じように(自分を模範として)歩む人々に目を向けるように勧めます。十字架に敵対して歩んでいる者が多いからです。18・19節。パウロは、獄中にあって、(明日には死刑で殺されるかもしれない)自分のためではなくて、フィリピの教会の人々のために涙を流します。この世における命を失うことよりも、永遠の命を失って滅びることの方が悲惨です。そういう人々と同じになってはなりません。
 自分たちがどういう者であるかをパウロは今一度確認します。20節。私たちは、本国・国籍が天にあります。だから今はひたすら、待ち望んで生きます。アドベントの一つの意味は、この待ち望むことを今一度学び直すことにあります。勿論今既に、この礼拝において、神の国の祝宴の先取りをしているのですが、それでも今はまだ、終末・再臨よりも前の時です(「既に」と「未だ」を思い起こして下さい)。地上での私たちの生・命は、終末・再臨を待ちつつ、旅人として生きる命です。だから私たちには、この世界のどんな事柄に対しても、究極以前のもの対する冷静さがあります。そして私たちは、約束を生きます。21節。この栄光の体を待ち望みつつ、私たちは「本国は天に」ある者として、どんな状況にあっても、軽やかに喜んで生きましょう。