これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年12月16日「しっかりと立て」(フィリピの信徒への手紙4章1節)

<phttps://www.dropbox.com/s/?dl=0> 今日から4章(最後の章)に入りますが、多くの方がそう捉えるように、今日の1節までで、3章からはじまった勧告が終わります(新共同訳聖書もそうです)。パウロは、十字架に敵対して歩んでいる人々の最後が滅びであって、あなたがたはそうならないように気をつけなさいと勧めてきました。どうしたらよいのでしょうか。自分たちはもう完成しているのだなどとうぬぼれないで、途上にある者、「既に」と「未だ」の間にあって、目標を目指してひたすら走ることです。本国は天にあり(20節)という自覚をもって、旅人として21節のような希望を生きることです。しかしそれは、容易なことではありません。まず外からの迫害や誘惑があります。更に(パウロの当時は)教会の中にも、「十字架のみ」を否定しようとする人々がいます(否、二千年の間、そういう力との戦いがずっとありました)。私たち自身の心の中に、悪の力は働きかけて、一筋に信仰に生きることから、外れる様に仕向けます。
 だからパウロは、この箇所の最後に、「しっかり立ちなさい」と勧めます。今日のこの箇所について、三つのことだけをみましょう。まず第一に、パウロは、フィリピの教会の人々に対して、率直な愛情を吐露しています。私たちは愛する者が滅びることを願いはしません。何とか救われてほしい、だから、パウロは勧めてきました。第二に、「冠」という言葉から分かる、パウロの救いの理解、救いの連帯性です。第三に、私たちがしっかりと立つことができるのは、(既に今まで丁寧にみてきましたように)ひたすら「主にあって」です。私たちが自分の無理な努力によって、しっかりと立つことなどできません。ただ主イエス・キリストの中で、ただ主に従う歩みの中で、わたしたちは神によってしっかりと立たせられます(1章27節参照)。