これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年1月20日「神に打ち明ける」(フィリピの信徒への手紙4章6~7節)

</p 前回の箇所では、(今までに何回も勧められてきた)喜ぶこと、また広い心(寛容の心)を示すことが勧められていました。主は近いからです。今日の箇所では更に、思い煩わないことが勧められています。6節前半。これは、主イエスご自身も繰り返し教えられたことです(マタイによる福音書6章25節以下など)。教会に来るようになると、このこともまた繰り返し勧められるのですけれども、これがなかなか難しい。主が近くにおられるのですから、この主に全てをお委ねする。自分は自分で最善を尽くすけれども、その先は主が助けて下さることに信頼して、全てお任せしてしまいます。だから、6節後半。私たちがすべきことは、最善の努力であります。そしてその中には、二つの大切なことがあります。まず第一に、感謝です。今の現状を神が恵みとしてわたしに与えて下さっていることが分かりますと、感謝が生まれます。時には、そう簡単ではないこともあります。苦境に立たされていて、何も先が見えないと感じることは、生きていればあるものです。しかしそこで、パウロが「私は主にあって苦しむことをも賜っている」(1章29節)という思いにまで、信仰・神への信頼が育てられていきますと、自分にとっての世界の見え方が変化して、まず感謝になります。第二に、自分一人で背負い込まないで、全てを神に打ち明けることです。祈りの最後には確かに、主イエスがゲツセマネの園で祈りましたように、「御心がなりますように」があるでしょう。しかしそこへ至る過程で、まず、神に全てを打ち明けることが大切です。そのとき、7節。この神の平和は、新年礼拝で申しましたように、広い深い豊かな意味があります。そして「守る」は、兵が城砦を守るような守り方です。その神の平和は、あらゆる人知を超えています。自分の頑なな心を事実として認めて、神に全てを打ち明けて、神の平和に守られる歩みをしましょう。