これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年3月3日「キリストの恵みが」(フィリピの信徒への手紙4章21~23節)

 昨年の 7月 1日から読み始めましたフィリピの信徒への手紙も、34回、今日で終わります。今回は結びの言葉だけです。前回、神がフィリピの教会の人々に必要なものをすべて満たして下さることを確言したパウロは、最後に頌栄、神への栄光を求める祈りの言葉を語って、アーメンと閉じました。今日はその後に、「よろしく」と語り(21・22節)、手紙の最初にあったのと同じように(言葉は少し異なりますが)、祝福の言葉で閉じます。
 21・22節。最初の「よろしく」は、パウロからです。ここは、すべての聖なる者たち一人ひとりに、ということです。この手紙は、フィリピの教会で朗読されたことでしょうから、聞いている一人ひとりが、ああ、自分にもパウロは宛てているのだなと感じることができるように配慮しました。個人名が一切書かれていない(ローマの信徒への手紙とは対照的に)のは、フィリピの教会の人々の間に争いがあったこと(4章2節以下参照)に対する配慮でしょう。「聖なる者」というのは、神抜きにその人の特質として「聖」なのではありません。ただキリストと結ばれているがゆえに「聖」です。次の「よろしく」は、パウロと一緒にいる兄弟たちからですが、私たちが今知っているのは、(手紙の中に出てきた)テモテだけです(恐らくエパフロディトはこの手紙を携えていった)。三つ目(最後)の「よろしく」は、特に「皇帝の家の人たち」が挙げられています。これは、皇帝の親族ということではなくて、ローマ帝国で官憲として働く全ての人を指す言葉です。自由人も奴隷もいました。自分を捕らえている人々の中にもキリスト者・信仰を同じくする者たちがいることを伝えて励まそうとしたのでしょう。最後、23節。私も「あなたがたの霊」は、「あなたがた」と同じ意味ですが、「一つの霊による一致」との関連を考えることもできます。私も今日、この手紙を終えるにあたって、この言葉をもって閉じたいと思います。