これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年4月14日「死と墓と」(マルコによる福音書15章33~47節)

 

 主イエスは前回の箇所で十字架につけられました。午前九時のことです。マルコによる福音書では、特に、主イエスに対する人々のののしりが印象的に描かれています。そして、今日の箇所では、昼の十二時です。33節。神の子が十字架につけられたことを悲しむかのように、全地が暗くなります。34節から主イエスが逝去される時の、午後三時の様子が描かれています。34~37節。十字架の上での七つの言葉ということがよく言われます。ルカに三つとヨハネに三つ、それにマタイとマルコで同じこの一つの言葉です。「わが神、わが神、なぜ…」と主イエスが大声で叫ばれた時、いったいどのような思いであられたのでしょうか。一つの読み方は、これは明らかに詩編22編の最初の言葉なので、主イエスは神への信頼と感謝を叫ぼうとされた、その最初の言葉とするものです。確かにそれも可能ですし、神の子にふさわしいことでしょう。しかしまた、実際に、「人間」として主イエスは、神に見捨てられるという、最大の最低の絶望をなさった。本来、神に見捨てられて滅びるべきなのは、罪を犯して神から離れている私たちなのに、この私たちを救うために主イエスが絶望の叫びをなさった。そして主イエスが息を引き取られたとき、二つの出来事が起こります。一つは、38節。これは聖と俗の境目がもはやないということです。更に、39節。百人隊長(以前に出てきたかどうかは分かりません)の告白です。弟子たちが逃げ出してしまった中で、女性たちこそが、(遠くからとはいえ)見守っていました。40・41節。
 そして主イエスは墓に葬られます。42~47節。三つのことを見ておきましょう。まず第一にアリマタヤのヨセフこと。第二に、主イエスは(仮死状態などではなくて)本当に死んだのだということ。そして第三、最後に、この場所をじっと見つめていたのは、女たちであったことです。