これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年7月7日「宣教開始」(マタイによる福音書4章12~17節)

前回までの箇所で、主イエスの誕生と子ども時代、更に、ヨハネから洗礼を受けて悪魔の誘惑を受けました。それでいわば、準備は終わったのですが、直ちに宣教開始ではありません。12節。まず第一に、ヨハネの逮捕が宣教開始のきっかけになります。それは当然で、主イエスの先触れ、道を整えるために現れたヨハネの活動が終わって主イエスが動き出します。第二に、捕らえられたという、主イエスの受難で頻繁に出てくる言葉が使われています。宣教開始から既に、十字架への道がはじまっています。そして第三に、「退かれた」。ヨハネを捕らえたのは、領主ヘロデですから、少し不思議な言葉が使われています。エジプト避難の時にも使われた言葉で、主イエスが人間的に前面に出て行かれたのではなくて、神の元へと退くことからはじまります。13節。地理的には幾つか面倒なことがありますが、今日は省きます。ただ、主イエスが緑豊かな村、ナザレを去って、ガリラヤ湖畔の大きな町、カファルナウムに移り住みます。このことをマタイは、旧約聖書の成就、イザヤ書の成就と捉えます。14~16節。元の文脈を気にしなければ、実に適切な引用です。洞穴の中の人々の例えを思い起こします。暗闇に住む者は、光を知りませんし、自分が暗闇に住んでいることさえ、分かりません。主イエスが来てくださった、そして今も共にいてくださるということは、光が差し込む出来事です。最後は、17節。3章2節のヨハネの言葉がそのまま用いられています。もっともその意味は、3章前半の時に申しましたように、ヨハネと主イエスでは違います。わたしたちは、ヨハネが語るような裁きを恐れる必要はありません。ただ、主イエスがくださる恵みをしっかりと生きましょう。