これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年8月4日「平和を実現する」(イザヤ書2章1~4節、マタイによる福音書5章9節)

 今日は日本基督教団では平和聖日です。そして丁度山上の説教の最初、山上の祝福をみていますので、今日は9節の御言葉に集中しましょう。また、神の与えてくださる平和がどのようなものであるのか、イザヤ書からも聴きます。
 この9節の祝福を聞いて、「ああこれは私のことだ」と思える方は少ないのではないかと思います。「平和の大切さは分かっている、しかし自分は無力で『平和を実現する』ことなどできない」。では主イエスは、私たちの多くが、「それは私のことではない」と感じるしかないごく少数の方々のためにこの祝福を語ったのでしょうか。もちろんそうではありません。まず、主イエスご自身が、柔和な方として、この平和を--決して人を滅ぼそうとしない、力によらない歩みとして--実現して下さいました。この世界で多くの方が信じている「力による平和」の脆さ・弱さをよく分かってらして、神の与えてくださる真実の平和を生き抜きました。神はどのような平和をどのようにして与えてくださるのでしょう。イザヤ書2章1~4節。これは終末・再臨のときのことです。剣を鋤に、槍を鎌に打ち直すような歩みは、まだできていません。しかしそれならば、私たちは、終末・再臨の時をただ待つのでしょうか。待ち続けることも確かにとても大切なことです。しかしそれだけではありません。主イエスが事実、神の与えてくださる平和を生き抜いたように、私たちもまた、どんなに小さいたどたどしい歩みでしかないとしても、「平和を実現する」歩みを、主イエスに倣ってなしていくことができます。その第一歩は、自分の中にある罪・悪と戦うことです。自分の中から平和ではなくて争いが起こってしまうのをとめることです。さあ、平和を実現しましょう。神が望んでおられるのですから。