これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年3月8日「驚嘆と頑なさ」(マタイによる福音書9章27~34節)

 次回で9章が終るのですけれども、次回の箇所は全体のまとめ、また10章への橋渡しの箇所ですから、主イエスの奇跡や癒しを中心とする行動は、今日の箇所で締めくくりとなります。前半では、二人の盲人が癒されています。【27~31節】ここには、典型的な癒しの様子が描かれております。「憐れんでください」という言葉や、口止め・メシアの秘密のモティーフ、それにも関わらず広がっていくことなどです。特に三つのことだけに注目すると、まず第一に、盲人の癒しは終末のしるしです。第二に、二人の盲人の「信仰」はいったいどういうものであるか、ここから私たちは信仰について学びうることがあるのか、です。単純で純朴な信仰、ややこしくて難しい理屈ではなくて、ただまっすぐに「主イエスにかける」信仰です。第三に、「ダビデの子」に今一度注目しましょう。
 後半は、【32~34節】。ここには、群衆の驚嘆とファリサイ派の人々の頑なさが描かれています。勿論、群衆の驚嘆・驚きが、直ちに信仰なのではありません。事実、主イエスの十字架の時には、群衆は扇動されてとはいえ、「十字架に掛けろ」と叫びます。しかし前回も見たような、「模範的」な信仰のファリサイ派の人々の頑なさは、大変なものです。12章のベルゼブル論争で扱いますが、このような「信仰」こそが、主イエスを十字架に殺すことになります。私たちは、キリストのからだなる教会として、まっすぐに主イエスに従っていきましょう。私たちの中にもある、救い主、主イエスを否定してでも守ろうとする「自分の信仰」と戦いながら。主イエスが、私たちも守り支え導いてくださるのですから。