これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年4月5日「何を恐れるべきか」(マタイによる福音書10章24~33節)

 現在私達は、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉をみています。前回は、狼の群れに送り込まれる羊のように、迫害があるのだという箇所でした。その迫害の現実の中で、最初の24・25節では、主イエスをベルゼブルというような人々は、弟子たち、教会、私達をもひどい扱いをすると。その時に、弟子たち・私達は、主イエスを越えて勝っている必要はありません。主イエスと同じようであれば、充分です。次に主イエスが仰るのは、「恐れるな」(26、28、31節)です。迫害されるならば、迫害する者を恐れるのは、自然な当然のことでしょう。しかし主イエスは、「恐れるな」と仰います。なぜならば、本来恐るべき方である神を恐れる時に、私達はそれ以外の何者も恐れる必要がなく、また事実恐れなくなるからです。新型コロナの関係で、「正しく恐れましょう」と言われます。しかしそもそも恐れることそのものが間違いです。命に関わること(しかも自分の命だけではなくて、無自覚に移せば他者の命をも)ですから、可能な限り注意することは必要かもしれません。しかしそれは、「恐れ」からではないはずです。私達キリスト者の生きる規範としての、「恐れではなくて愛」を今一度振り返りましょう。しかしそうは言っても、恐れてしまうのが私達人間存在の本性でもあります。だから、29~31節です。神は、それほどまでに、私達を知っていて私達を愛して下さっている。この事実にしっかりと立つ時に、私達は恐れを捨て去って、どのような状況にあろうとも、安心して、平安・平和を生きることができます。そのように恐れがなくなるので、人々の前で、主イエスの仲間だと言い表す(信仰告白する)のです。