これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年6月14日「赦されない罪」(マタイによる福音書12章22~32節)

  •  新しい単元に入って三回目です。今日の箇所ではまず主イエスが、一つのいやしをなさいます。それに対する群衆の反応は、23節です。とても素直な反応です。しかしファリサイ派の人々の反応は全く異なります。24節です。よりによって、悪霊の頭ベルゼブルの力によるといいます。
  •  これに対して、25節以下は、主イエスの言葉です。今日は三つの事柄だけ集中し、更に最後に(説教題にも致しました)「許されない罪」に注目しましょう。まず一つ目に、主イエスは彼らの主張を否定します(29節まで)。彼らのいう通りだとすると、内輪もめであって、それはありえません。第二に(その中で言われていることですが)「神の国はあなたがたのところにきている」(28節)という言明です。第三に、30節です。こと、キリスト・救いに関しては、中立はありません。必ず、味方する(味方してキリストと共に働く)か、散らす(敵対して妨害する)かのどちらかです。
  •  最後に、許されない罪について。31・32節です。これは実に大胆で決定的な言葉です。コリントの信徒への手紙一(現在聖書に親しみ祈る会で丁寧に読んでいます)には、悪徳表が出てきます。興味深いことに、段々に取り上げられる悪徳が増えていきます。しかしながら、6章11節です。確かに主イエスの十字架の大きさの前に、全ての罪は赦されるのも事実でしょう。ではなぜ、聖霊に言い逆らう者だけは、赦されることがないのでしょうか。それは、赦し・救いに必要なたった一つのこと、主イエスの十字架による赦しを受け入れることを不可能にしてしまうからです。ファリサイ派の人々は、今日の聖書箇所で、聖霊に言い逆らう罪を犯しているようにみえます。しかし悔い改めて、福音を信じるならば(そうすることができるならば)、聖霊に言い逆らう罪ではないのです。