これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年10月4日「主は憐れむ」(マタイによる福音書15章29~39節)

 前回の箇所、カナンの女の信仰の箇所とは異なり、今日の聖書箇所には目新しいことは何もありません。前半は、主イエスの癒しの(纏めの)記事です。後半は、前の章にありました五千人の給食とよく似ています。今日は三つのことだけをみてみましょう。
 まず第一に、前回の箇所と関連して、群衆が誰なのか、です。マタイはユダヤキリスト者を強く意識して書いています。だから、明確には書きませんが、異邦人です。弟子たちの態度や場所のこと、そして群衆の様子から推測できます。つまり主イエスは、カナンの女との出会いを通じて、憐れみ・愛をイスラエルだけではなくて、異邦人にも広げました。
 次に繰り返すことの意味です。主イエスは、倦むことなく憐れみます。私達の愛も、私達の弱さや罪のゆえに、主イエスと同じようにはできないとしても、それを目指します。愛において大切なことは、諦めないことです。まるで砂漠に水を撒くようにむなしいことに思えても、主が神が働いておられることを信じて続けることが大切です。私達の礼拝もキリスト者としての生活も、ある意味では、ひたすら繰り返すことです。この講壇から語られる説教も、本質的には同じことを繰り返し語っているだけです。しかし私達の頑なさ・忘れっぽさ・罪の深さのゆえにこれはどうしても必要なことです。
 そして最後に、主イエスは私達への愛の極限において、十字架に死んで下さいました。私達の信仰には、繰り返すこと、諦めないことの中で、敵のために死ぬことをも厭わない覚悟が求められています。それは「自分の力」では決してできませんが、ただ神がさせて下さいます。