これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年10月18日「この岩の上に」(マタイによる福音書16章13~20節)

 福音書の頂点・分水嶺は、この16章のペトロの告白と次章の山上の変貌です。なぜこの告白が頂点なのでしょう。三つの点に注目しましょう。まず第一に、人々の言葉ではなくて、「あなたがた」の告白、自分の言葉として責任ある発言だからです。13~16節です。
 第二に、告白の内容です。「メシア(キリスト)、生ける神の子」。これは主イエスが十字架に掛けられ死んだ時に、百人隊長らが告白した言葉でもあります(27章54節)。この告白こそ、教会の礎です。17~19節です。「この岩の上に」とは、人間ペトロ個人を指しているのではなくて、この告白のことです(カトリックプロテスタントの一番大きな違い)。しかもこの告白は、決して人間から出てくるものではなくて、ただまっすぐに天の父からのものです。更に主イエスは、この教会にこそ天の国の鍵を授けて下さいました。これは陰府の力も対抗できません。復活の出来事が、これを確かならしめます。
 第三に最後に、この告白から主イエスは、十字架の事実を予告しはじめます(次回の箇所、次回丁寧にみます)。この告白こそ、主イエスが十字架の秘密を語られるのにどうしても必要な唯一のことでした。
 私達教会は、天の国の鍵を授かったものとして、この世界で罪の赦しを宣言し続ける責任があります。もはや十字架と復活以前の、メシアの秘密(20節)はなく、全て公に宣言し、伝道し、天の国(神の支配)へと人々を招き続けます。その私達にどうしても必要なたった一つのことは、「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子」との告白に固く立ち続けることです。