これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年11月1日イエスの姿が変わる(マタイによる福音書17章1~13節)

 今日の聖書箇所は、とても有名な山上の変貌の記事です。福音書の頂点・分水嶺です。ここから先は、まっすぐに十字架の死へと向かっていきます。今日の聖書箇所最後、洗礼者ヨハネの話にそれは出てきます。10~13節です。実はエリヤであったヨハネを人々が好きなようにあしらった、そのように、主イエスは苦しめられる、と、ご自身仰います。その果てにあるのは、十字架の死です。
 まず、前回の箇所から「六日の後」です。これは当時の日にちの数え方からすると、(私達ならば)七日の後という意味です。ペトロの告白と受難予告から、一週間も準備期間があって、主イエスは特別な場面で特に選ぶ三人を連れて高い山に登られます。それは、主イエスの祈りの場所へと三人を招いたということでしょう。そこで変貌の出来事が起こります。2・3節です。急に現れた二人の人物がなぜモーセとエリヤだと分かったのかは分かりません。この二人は、律法と預言、旧約聖書の全体です。ペトロが的外れな提案をします。混乱していたのでしょうか、少しでもこの素晴らしい状態を維持したいと願ったのでしょうか。4節です。そしてこのペトロの提案が終らない内に、雲の中から声が聞こえます。5節です。これは、主イエスの洗礼の時にも聞こえた神の声です。ただ、付け加わったのは、「これに聞け」という指示です。6~8節は、神顕現のしるしであり、この特別な変貌の出来事の終わりです。
 この変貌の出来事は,その時限りの幻であって、消え去ってしまったのでしょうか。決してそうではありません。最後に、9節です。何回も出てきたメシアの秘密のモチーフです。私達は、「復活するまで」に注目しましょう。現在は、主イエスが復活なさった後です。だから私達は、この変貌の出来事に神の栄光の希望をみてよいのです。更に、まだ知らない方々に、本当の希望はここにこそあるのだと指し示し続ける責任があります。