これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年12月20日「インマヌエル」(マタイによる福音書1章18~25節)

 クリスマスおめでとう。
 今日は降誕礼拝として、講解説教を一回お休みして、インマヌエルの箇所です。「イエス」の名前の由来として、イザヤ書の「インマヌエル」が挙げられています。以前、友人をクリスマスの礼拝に誘ったとき、ちょうど同じ聖書箇所でした(この箇所はクリスマスに読まれることの多い箇所ですね)。彼は、なぜ名前がインマヌエルではなくてイエスなのかと素朴に聞きました。当時私は神学生で、何となく答えました。そのことを今日は丁寧にみてみようと思います。
 インマヌエルは、神は我々と共に(おられる)という意味です。そしてイエスは、ヘブライ語ではヨシュアです。「神は救い」という意味です。なぜマタイ福音書記者は、名付けの箇所で、このイザヤの預言の言葉(今日詳しく語ることはしませんが、本来は当時の文脈がありますが、後にメシア預言として受け止められるようになったようです)を引用したのでしょうか。明確な意図があります。マタイ福音書記者は、最後(の昇天の記事)でも「世の終わりまで私はあなた方と共にいる」と書きます。福音書の最初と最後に「共に」と描くことで、福音の中核にある出来事は、神・キリストが共におられることだと指し示しています。ですから、この箇所で、インマヌエルをイエスの名付けのモティーフとして描くのは、「主が共におられる」ことこそ、私たちの救いなのだということではないでしょうか。
 現在大変なコロナ禍の中で、世界は(日本も含めて)大変なことになっています。だからこそ、私たちは信仰の原点に立ち返って、「主が共におられる(インマヌエル)」を大切にして、いつでも神への感謝と救いの喜びを生きることができる神の恵みに生きましょう。