これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年1月3日「憐れみ深い者となれ」(ルカによる福音書6章27~36節)

 今日は、一年のはじめの礼拝として、普段のマタイの講解説教を離れて、ローズンゲンの年の聖句に聴きます。ルカによる福音書6章36節です。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
 はじめに、今年のローズンゲン、291版の序から引用します。「…」。
 このルカによる福音書の箇所は、マタイでは、山上の説教にあります。マタイ5章48節では、「完全な者となりなさい」と述べられています。神の完全さとは、「恩を知らない者にも悪人にも」情け深いような憐れみです。これは、私たちの浅い狭い正義の観念からすると、不合理なものです。私たちは、「なぜ悪人が栄えるのだろう、なぜ神は悪人にも憐れみ深いのだろう」と思います。神は、正義の方、平等な方ではないのか。
 確かに神は正義の神であり、最後の審判において、全てを正しくお裁きになられます。主イエスの十字架を抜きにして、今直ちに神が正しく裁かれるとしたら、全ての者は地獄へ行かざるをえないでしょう。しかし、神は、憐れみ深く忍耐して下さっています、一人でも多くの者が救われるために。
 私たちは、この神の完全さ・憐れみ深さに倣う者となることが求められています。いつだって私たちは不完全で、神のように憐れみ深くあることはできません。それでもなお、再臨・終末を視野に入れつつ、少しでも憐れみ深い生き方を志し続けることはできます。そこに敵をも愛する愛が成り立っていきます。さあ、まだはじまったばかりのこの一年、「憐れみ深い者と」なることを志して生きましょう。