これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年4月11日「神のものは神に」(マタイによる福音書22章15~22節)

 今日は、主イエスの賢さがとても際立つ問答です。まずファリサイ派の人々が、主イエスを罠にかけようと相談します。15節です。そして、(自分たちが行くのではなくて)弟子たちを派遣します。しかもヘロデ党の人々と共に。16・17節です。まず彼らはおべっかを使い(実際はそれは正しいのですが)、どちらに答えても主イエスが不利になるような問いをします。もしも税金を納めるべきだといえば、当時の植民地支配の状況で、主イエスは群衆の人気を失うでしょう(逮捕された時のことを参照)。また、税金を納めるべきではないといえば、すぐにヘロデ党の人々が動きます。
 後半をみましょう。18~22節です。ファリサイ派の人々の当時の主張は、「本来はローマ帝国などに税金を納めるべきではない。しかしこの植民地支配の状況ではやむをえない」というものでしょう。彼らの偽善は、既に日常生活で、ローマ帝国の貨幣を用いていることからも分かります。
 問題は、主イエスの言葉の意味です。単純に税金を納めなさいと言っておられるのでしょうか。そうではなくて、中心は、「神のものは神に」です。この世界に、この世界をお造りになられた神のものでないものなどあるでしょうか。それにもかかわらず、私達はすぐに、「これは神のものではなくて、私(たち)固有のもの」と主張しだすのではないでしょうか。もちろん、この世界を生きていく上で、税金の問題をはじめ、対処しなければならない課題は多くあります。それでもなお、その「全ては神のもの」という前提で、私達は様々な事柄に対処すべきではないでしょうか。