これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年7月3日「善を行おう」(ガラテヤの信徒への手紙6章6~10節)

 前回は、重荷を担うことがテーマでした。今日はその続きとして、「善を行う」ことが語られています。しかもこの短い箇所で、二回も(8・9節)勧められています。この短いガラテヤの信徒への手紙の終り近くにあたって、パウロは勧めるべき幾つかのことを畳みかけるようにして語ります。
 最初は、(牧師という立場では語りづらいのではありますが)牧師のような立場の人間の経済的な問題です。6節です。持ち物を全て分かち合うというのは、大げさな表現ですが、御言葉を教える者は、それによって生活の糧を得るべきだということです。大学時代の聖書研究会での出来事のこと。パウロ自身は、まだ開拓途上にある諸教会から報酬を得ないで(原則であってフィリピの教会などからは支援を受けていたようですが)天幕張りの仕事をしながら伝道をしていましたけれども、基本的には伝道者は、報酬を受けるべきだ、それが当然の自然な姿だと考えていました。そのことを改めてここで確認します。
 更に、7・8節です。神は全てを見ておられ全てを知っておられます。肉に蒔く者は滅びを、霊に蒔く者は永遠の命を刈り取ります。こういう終末論的な視点に立って、パウロは勧めています。
 最後に、9・10節です。善を行いましょう。ここには、更に明確に終末的な観点があります。「時がきて」と「時のある間に」です。再臨・終末がくれば、全てが決まってしまいます。その前に、まだ間に合う内に、善を行うことが(特に信仰の仲間に対して善を行うことが)大切です。具体的には、罪を犯した者を立ち返らせることや伝道者を経済的に支えること、その他様々なことがあるでしょう。
 今日からはじまる新しい一週間、「善を行おう」とする志をもって生きましょう。