これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年8月14日「神の住まい」(エフェソの信徒への手紙2章11~22節)

 前回は平和聖日でした。そして「キリストは私達の平和」ということに集中しました。私達の間に平和があるだけではなくて、私達は神の平和の福音を携えていく、平和を実現していくのです。
 それだから、私達教会は、聖なる神殿となっていきます。19~21節です。三つのことに注目しましょう。まず第一に、私達はもはや外国人でも寄留者でもありません。聖なる神に属する者、神の家族です。それですから、第二に、私達の土台は使徒預言者です。新約聖書だけを学べばよいのではなくて、その土台である旧約聖書もまたきちんと学んでいくことが大切です。第三に、かなめ石はキリスト・イエス御自身です。まるでキリストがおられないかのような聖書(旧約聖書のみならず新約聖書も含めて)の学び・読み方は意味がありません。かなめ石とは、それがなければすべてがだめになってしまうものです。日本でいうと大黒柱が近いかもしれません。
 最後に、22節です。神の住まいとなる。これには、二つの側面があります。まず一つは、教会全体として、という側面です。「あなたがた」は、二つ目の側面のような「あなたがた一人ひとり」という意味と、「あなたがた全体」という意味があります。教会は建物のことではなくて、信仰をもって生きる私達の集合体のことです。信仰の交わりにこそ、神は神として宿られます。ここには神がおられます。
 そして今一つの側面は、私達一人ひとりです。自動的にそうなのではなくて、霊の働きによってそうなります。私達が何か自分でも驚くような何かを成し遂げるとき、いつも、私達が行ったのではなくて、私達の中に生きて働くキリスト(聖霊)が行ってくださったのだという感覚をもちます。神が神御自身の住まいとして、私達を用いてくださることを祈り求めつつ新しい一週間を歩みましょう。