これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年9月18日「神の招きに相応しいとは」(エフェソの信徒への手紙4章1~6節)

 前回で、この手紙の第一部は終りました。4章から第二部です。第二部の最初に述べられていることは、神の招きに相応しく歩むことです。 1節です。まず勧めるパウロは、自分が主に結ばれて囚人となっていると述べます。この囚人というのは、パウロは事実様々なところで囚人になっています。また、もっと広い意味でも使われています。
 神の招きに相応しいとはどういう意味でしょうか。 2・ 3節です。高ぶらない、柔和、寛容、愛による忍耐、平和の絆、霊による一致です。これらは何一つとして私達の努力でなしうるものはありません。前回みた内住のキリスト、私達の内に豊かに働く神の力、聖霊の助けによります。
 特に最後の一致について、丁寧に書かれています。 4~ 6節です。まず4節です。体は一つ、霊は一つ。これは、私達が一つの希望にあずかるように招かれているのと同じです。だから 5節です。私達の主は、キリストお一人であり、信仰は様々な細かい違いはあっても一つ・同じです。さらに、洗礼は人によって受ける時期も状況も異なりますが、一つの同じ洗礼です。
 その礎にあるのは、神が唯一であられることです。 6節です。唯一なる神、全てのものの父なる神が、全ての上におられ、全てのものを通して働き、全てのものの内におられます。この神が招かれるので、この神の(そしてそれゆえキリストの)力によって、私達は神の招きに相応しい歩みを形作って頂くのです。
 新しい一週間、この神の力に信頼して、それゆえにこそ、神の招きに相応しい歩みをしていきましょう。