これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年1月22日「祈ることと宣教と」マルコによる福音書1章35~39節

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 35節。前回、主イエスは、ペトロのしゅうとめを癒した後、日が暮れて(安息日が終わって)大勢の人々を癒し、悪霊を追い出しました。どの位大勢の人々を癒したのか、その後で休息をとる時間があったのか、なかったのか(いつ頃終わったのか)、その辺りのことは(描かれていないので)分かりません。主イエスがまだ暗いうちに出かけられた場所は、「人里離れた所」(荒れ野)です。この箇所でまずみるべきことは、主イエスが祈られたこと、そして祈りにおける神との交わりをとても大切になさったことです。主イエスの祈りを多く描くのはルカですが、マルコでもこの箇所や、水上歩行の前や、ゲツセマネの祈りなど、大切な場面では、主イエスが祈られたことを描きます。神との豊かな交わりこそ、主イエスのあのような激しい宣教活動の源泉です。
 この主イエスの祈りを妨げた(中断させた)のは誰でしょう。36・37節。ペトロたちです。昨日に引き続き、多くの人々が癒しを求めて集まっている、探している。そのことを主イエスに伝えます。主イエスは何と答えるでしょう。38節。前々回の、汚れた霊につかれた人の癒しでも、中心にあったのは、奇跡の業ではなくて、「権威ある新しい教え」でした。そして、主イエスは、神への祈り・神との豊かな交わりを通して、ご自分の使命、何のために「出てきた」のかを再確認し(主イエスを求めて探していた人々のもとへ行くのではなくて、行くことをはっきりと拒絶なさって)、近くのほかの町や村へ宣教することを宣言なさいます。そして21節からの一纏まりの締めくくりの言葉として、39節。主イエスにおいては、祈ることと宣教とは、切り離せない、一つの事柄です。私達も、徒に活動するのではなく、しっかり祈りつつ、神から与えられた使命を果たしていきましょう。