これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年3月12日「お言葉通り」(ルカによる福音書1章26~38節)

 ルカによる福音書の講解説教も今日で四回目です。今日の箇所は、イエスの誕生がマリアに予告される箇所です。この箇所とよく対比されますのは、ザカリアへの洗礼者ヨハネの誕生の予告です。そこでザカリアは、天使ガブリエルの予告を受け入れなかったので、口が聞けなくなり、マリアは受け入れたので、祝福されたといいます。しかし果たしてそうなのでしょうか。18節でザカリアが言い逆らったのと全く同じに、マリアも34節で言い逆らっています。34節です。しかしその後に天使は更に語ります35~37節です。そしてマリアが「お言葉通り」という有名な言葉を述べて、天使は去っていきます。ザカリアは、マリアで言いますと、35節からの天使の言葉が語られる位置で、口が利けなくなることを告知されます。ザカリアがどうだからマリアがどうだからということではなくて、天使・神の側にご計画があってこうなったとみるべきではないでしょうか。既にみたように、ザカリアの沈黙には必要な意味がありました。それと同じように、マリアがこのガブリエルの告知を「お言葉通り」と受け止めたのも、救済史において必要なことです。38節です。これは、単に当時の田舎娘にすぎないマリアにとっては大変なことでした。年齢は分かりませんが、当時の常識からいえば12歳くらいだったのではないかと推定されています。
 まず最初に、マリアは最初の天使ガブリエルの言葉から戸惑い考え込みます。26~29節です。この挨拶の言葉は当時の普通の挨拶の言葉ですが、それ以上に字句通りの深い意味があるでしょう。そしてザカリアの箇所で、ザカリアを通して私達の沈黙の意味を読み取ったように、マリアの箇所から私達は、「お言葉通り」と神の言葉を受け入れるところからはじまる私達の歩みを見つめることができます。