これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年10月1日「山上の変貌」マルコによる福音書9章2~13節

Download

 今日は山上の変貌の箇所です。ここが福音書の頂点です。ペトロの信仰告白、主イエスの受難予告に続いて、今日の箇所では、父なる神の宣言(7節)です。様々な読み方・読み取りがこの箇所にはありうるのですが、この神の宣言こそ、この箇所の中心でしょう。まず2~6節。エリヤとモーセは、預言者と律法を代表して、神の言葉・旧約聖書の全体を代表しています。そして白く輝くのは、終末のしるしです。主イエスの栄光が現れるのは、復活を待たなければなりませんし、それが誰の目にも明らかになるのは終末を待たなければなりません。しかし今日の箇所で既にその予表が、特に大切な三人の弟子たちに示されました。しかし弟子たちは何が起こっているのか理解せず、ただ恐れ(6節)、場違いなことを言います(5節)。大切なのは、神の言葉です。7・8節。1章の主イエスの受洗の場面では、主イエスに向かって語られていたことが、この箇所では三人の弟子たちに語られます。そして、「これに聞け」と命じられます。既に主イエスは受難予告を語りはじめられましたが、弟子たちはまだその意味が分かりません。それでも聞き続けるならば、復活の後に、その意味が分かります。だから今までと異なり、沈黙命令も、期限付きです。最後、9~13節。復活の後、すなわち弟子たちが教会を建て私達にまで引き継がれていく歴史の中で、この出来事は語り継がれ、主イエスの栄光を証する大切な出来事として記憶されていきます。11節の弟子たちの問いには、「だからあなたをキリストと認めない」という律法学者の判断がありますが、主イエスは、洗礼者ヨハネという姿で既にエリヤが現れていることを指摘なさいます。「これに聞け」。この言葉は最初の三人に対してだけ語られた父なる神の言葉なのではなくて、私達も招かれている新しい生き方です。主の言葉に聞くからこそ、私達は神の民として生きます。