これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年3月26日「マリアの賛歌」(ルカによる福音書1章46~56節)

前回、マリアはエリサベトを訪問しました。そしてエリサベトのお腹の子(洗礼者ヨハネ)が喜び踊ります。エリサベトの「なんと幸いでしょう」という言葉に応えるようにして、マリアは神をほめたたえる賛歌を歌います。中身を全てみていくことはできません。…

2023年3月19日「なんと幸いでしょう」(ルカによる福音書1章39~45節)

前回は、マリアに対して天使ガブリエルが主イエス誕生の予告をする箇所でした。次回はかの有名なマリアの賛歌です。その間に挟まれて、マリアがエリサベトを訪れたことが記されています。39・40節です。マリアはガブリエルから、エリサベトの妊娠の話を…

2023年3月12日「お言葉通り」(ルカによる福音書1章26~38節)

ルカによる福音書の講解説教も今日で四回目です。今日の箇所は、イエスの誕生がマリアに予告される箇所です。この箇所とよく対比されますのは、ザカリアへの洗礼者ヨハネの誕生の予告です。そこでザカリアは、天使ガブリエルの予告を受け入れなかったので、…

2023年3月5日「私の恥を取り去って」(ルカによる福音書1章21~25節)

ルカによる福音書の講解説教も今日で三回目です。まず素直に前回の続きの箇所です。21・22節です。ここで人々はザカリアが幻をみたのだと悟ります。こういう感性は私達には欠けているのではないでしょうか。幻といいますと、現代においては否定的に捉え…

2023年2月26日「ヨハネ誕生の予告」(ルカによる福音書1章5~20節)

先週(前回)から、ルカによる福音書を読み始めました。他の福音書とは異なり、ルカによる福音書は、主イエス以前のこともそれなりに描いています。今日の箇所はまだそういう箇所の一つで、洗礼者ヨハネの父親、ザカリアに主の天使が現れて、ヨハネの誕生を…

2023年2月19日「献呈の言葉」(ルカによる福音書1章1~4節)

今日からどれだけの月日がかかるか分かりませんが、ルカによる福音書を読み始めました。この福音書を読みはじめてすぐに気が付く特徴は、今日の箇所です。献呈の言葉が(他の福音書とは違って)あります。 3節です。このテオフィロというのがどんな人物なの…

2023年2月12日「平和と信仰を伴う愛」(エフェソの信徒への手紙6章21~24節)

https://www.dropbox.com/s/dl=0 しばらく共に読んできましたエフェソの信徒への手紙も、今日で終ります。次回からルカによる福音書の講解説教です。今日の聖書箇所は、結びの言葉、最後の挨拶の言葉です。前半は、ティキコを送ることについてです。21・2…

2023年2月5日「光が世に来た」(ヨハネ福音書3章16~21節)

今日は聖書箇所をこの箇所にするか、エフェソの信徒への手紙講解説教を続ける(といっても後一回で終わりですが)か、迷いました。というのも、国民の休日に定められている建国記念の日を私達教会は、「信教の自由を守る日」と呼んでいるのですが、来週、私…

2023年1月29日「祈り続けなさい」(エフェソの信徒への手紙6章18~20節)

前回にも申し上げましたように、前回(先週)と今日の箇所で一纏まりです。しかしながら、前回の神の武具を身に着けるという箇所も、今日の祈りの箇所もとても大切なので、二回に分けてみていきます。 前回学んだ神の武具を身に着けることは、敵がこの世界の…

2023年1月22日「神の言葉をとって」(エフェソの信徒への手紙6章10~17節)

エフェソの信徒への手紙も終わりが近づいてきました。人間関係の教えが終って、今日の箇所は本来文脈としては、20節まで一纏まりなのですが、神の武具を身に付けることが語られている前半(今日)と祈りの大切さが語られている後半(次週)の二回に分けて…

2023年1月15日「人を分け隔てなさらない」(エフェソの信徒への手紙6章5~9節)

人間関係に関する教え、今日が三つ目、最後です。まず一つ目が妻と夫、二つ目が子と親、今日が奴隷と主人です。三つに共通することは、社会的に優位な立場にある者がより厳しい戒めを与えられていることです。そしてさらに今日の箇所では、人を分け隔てなさ…

2023年1月1日「主の御名」(創世記16章13節)

今日から新しい一年がはじまります。今日も、例年通り、ローズンゲンの年の聖句に聴きます。今年は例年と少し異なりまして、ハガルの言葉です。ハガルはサラの女奴隷です。アブラハムとサラとの間には、子どもがなかなかできませんでした。そこで、サラは、…

2022年12月25日「固執しないで」(フィリピの信徒への手紙2章1~13節)

クリスマスおめでとうございます。 今年の聖書箇所は、とても有名なフィリピの2章です。キリスト・イエスが、神と等しい者であることに固執しないで、かえって自分を無にして、人間と同じ者になられました(6・7節前半です)。このキリストの姿を模範とし…

2022年12月18日「エッサイの根」(イザヤ書11章1~10節)

今日も聖書日課で聖書箇所を選びましたので、久しぶりに旧約聖書です。今日の箇所は、イザヤ書の中でも最もよく読まれる聖書箇所の一つです。ダビデの父、エッサイの子孫から王、救い主が現れるという預言です。1・2節です。この言葉を私達キリスト教会は…

2022年12月11日「いつも喜んでいなさい」(テサロニケの信徒への手紙一5章16~24節)

2016年頃にこの手紙の講解説教をしています。そのときは、まず平和聖日に平和という視点からこの箇所を読みました。さらに、三回にわたって、丁寧にこの箇所を読み解きました。しかし今日は丁寧に読む時間的な余裕はありません。待降節に指定された聖書…

2022年12月4日「今日、実現した」(ルカ4章14~21節エフェソの信徒への手紙5章~21節)

今日の聖書箇所は、主イエスが洗礼を受けられ、誘惑を受け、ガリラヤで伝道をはじめられたところです。14・15節です。それから主イエスはお育ちになられたナザレに行きます。16節です。当時の礼拝は、私達の礼拝と異なりまして、参加者が聖書を朗読し…

2022年11月27日「忍耐して待つ」(ヤコブの手紙5章7~11節)

今日は、後ほど聖餐式がありますように、アドベント・待降節第一主日です。講解説教をしばらくお休みしまして、今日から聖書日課の聖書箇所に聴きます。アドベントに私達がすべきことの一つは、「待ち望む」ことを学び直すことです。アドベントはクリスマス…

2022年11月20日「妻と夫」(エフェソの信徒への手紙5章21~33節)

5章に入りまして、今日で5回目です。前回は21節だけを取り上げて、仕え合うことの大切さをみました。実はこの21節は、20節までの纏まりの最後に位置づけるか、22節以降の文章の最初に置くべきか、議論の分かれているところです。どちらの読み方も…

2022年11月13日「互いに仕えなさい」(エフェソの信徒への手紙5章~21節)

5章に入りまして、今日で4回目です。1回目は、愛によって歩むことでした。2回目は「光の子として歩む」ことでした。そして3回目、先週は、神に感謝して生きることでした。こうして、一連の勧告が終りました。次回から6章にかけて、妻と夫、子と親、奴…

2022年11月6日「神への感謝に生きる」(エフェソの信徒への手紙5章15~20節)

5章に入りまして、前々回は、愛によって歩むことでした。前回は「光の子として歩む」ことでした。そして今日の箇所で、神に感謝して生きることです。こうして、一連の勧告が終ります。次回から6章にかけて、妻と夫、子と親、奴隷と主人という仕方で、もっ…

2022年10月30日「光の子として歩む」(エフェソの信徒への手紙6章6~14節)

前回は、神に倣う者となりなさい、でした。それは、愛によって歩むことです。この文脈の中に、今日の聖書箇所の「光の子として歩む」ことも入っています。それが語られているのは、8節です。まずこの手紙の著者は、あなたがたは光となっている、と、宣言し…

2022年10月23日「神に倣う者となれ」(エフェソの信徒への手紙6章1~5節)

h 今日の聖書箇所のテーマは、神に倣う者となりなさい、です。この「倣う」ということで私達がまず思い出すのは、イミタチオ・クリスティ(キリストに倣う)という書物・標語です。多くのキリスト者に多大な影響を与えたこの言葉について、今日は考察する暇…

2022年10月16日「赦し合う生き方」(エフェソの信徒への手紙4章25~32節)

前々回、愛によって、ということが語られました。前回は、「心の底から新たに」されることでした。今日の箇所では、それに基づいて、キリスト者同士の隣人との係わりについて語られています。 それは何よりもまず、真理を語ることです。25節です。真実です…

2022年10月9日「心の底から新たにされて」(エフェソの信徒への手紙4章17~24節)

今日の聖書箇所から強いはっきりとした勧告がはじまります。まず17節前半です。今まで述べてきたこととは無関係に突然勧告がはじまるのではなくて、今までのことを基礎として勧告がなされます。ここでも、異邦人とキリスト者が対比されて描かれています。…

2022年10月2日「愛によって」(エフェソの信徒への手紙4章14~16節)

今日の聖書箇所では、最初の14節と後半の15・16節が対比されています。前々回に、主の招きに相応しく歩むことの大切さが語られ、前回はそれがどのようであるかが描かれていました。今日はその続きで、まず主の招きに相応しく歩まない者、成長しない者…

2022年9月25日「私達の成長(エフェソの信徒への手紙4章7~13節)

前回、神の招きに相応しく歩むことが述べられていました。それは、高ぶらない、柔和、寛容、愛による忍耐、一致などでした。お招きになられるのは神ですから、その神が無責任に招くだけ招いておいて後はほったらかしにするなどとは考えられません。神の招き…

2022年9月18日「神の招きに相応しいとは」(エフェソの信徒への手紙4章1~6節)

前回で、この手紙の第一部は終りました。4章から第二部です。第二部の最初に述べられていることは、神の招きに相応しく歩むことです。 1節です。まず勧めるパウロは、自分が主に結ばれて囚人となっていると述べます。この囚人というのは、パウロは事実様々…

2022年9月11日「広さ、長さ、高さ、深さ」(エフェソの信徒への手紙3章14~21節)

3章の1節からはじまった祈りの言葉は、長い中断・挿入を経て、今日の箇所で祈りの言葉になります。そして最後、神への頌栄の言葉で、この手紙の第一部は終ります。20・21節です。「栄光が世々限りなくありますように」の対象である神がどのような方で…

2022年9月4日「目の中の丸太って何?」(ルカによる福音書6章37~42節・八木かおり)

本日の物語の語りだしは「人を裁くな」です。しかし、これはわたしたちの現在に、そのままの言葉として一般化していいものではありません。イエスにおいて、それからルカにおいてのそれぞれの状況を捉える必要があります。イエスが「人を裁くな」という時、…

2022年8月28日「この苦難は栄光」(エフェソの信徒への手紙1章1~5節)

前回申し上げましたように、1節は14節に繋がるのであって、2節から13節は挿入部分です。今日は挿入部分の後半です。まず7節です。前回語られたような神の力によって、パウロは恵みを賜り、福音に仕える者になりました。その際のパウロの自覚が次の8…