これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年9月12日「主イエスの逮捕」(マタイによる福音書26章47~56節)

ゲツセマネの祈りの最後に主イエスは仰います。「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」。確かに、主イエスの言葉の途中で、ユダが大勢の群衆と共にやってきます。47節です。ここでもユダが「十二人の一人」と書かれています。ユダは前もって決め…

2021年9月5日「ゲツセマネの祈り」(マタイによる福音書26章36~46節)

今日はいよいよゲツセマネの祈りです。前回、オリーブ山へ行く途中、主イエスはぺトロを中心に弟子たちがつまずくことを予告なさいました。そして次回、裏切られ逮捕されるのですが、その前に主イエスは実に真剣な祈りをなさいます。それがこのゲツセマネの…

2021年8月29日「つまずきを越えて」(マタイによる福音書26章31~35節)

前回、過越の食事が終りました。そこで主イエスは、弟子たちと共に讃美の歌を歌ってから、オリーブ山へ向かいます。ゲツセマネへ行くのでしょう。そのとき、弟子たちのつまずきを予告なさいます。31節です。「今夜」ですから、本当に間近なことを予告なさ…

2021年8月22日「主の晩餐」(マタイによる福音書26章26~30節)

今日の聖書箇所がはじまる時点で、既に過越の食事ははじまっています。過越の食事の中で、主イエスは、主の晩餐・聖餐の制定をなさいました。私達は、聖餐の制定が、全く文脈のない無機質な提議のようにしてなされたのではないことに注目しましょう。しかも…

2021年8月15日「私の軛(くびき)は」(マタイによる福音書26章14~25節)

前回は、主イエス殺害の計画とベタニアでの香油注ぎの箇所でした。分からないなりに主イエスを愛して行動するときに、主イエスは喜んでくださいます。 今日の箇所は、その続きです。前半がユダの裏切りの企てです。香油を注いだ女とは対照的に、裏切る(引き…

2021年8月8日「記念として」(マタイによる福音書26章1~13節)

前回で、3章に及ぶ最後の説教が終りました。今日の箇所から、一直線に十字架へ向かいます。その最初にあるのが、今日の記事です。この箇所は二つの部分からなります。前半では、権力者たちが主イエスを殺す計画を建てています立てています。後半では、対照…

2021年8月1日「平和を保って」(使徒言行録9章26~31節)

今日は日本基督教団では、平和聖日です。今日は、マタイの講解説教をお休みして、聖書日課です。今日の聖書箇所は、サウロ(後のパウロ)の回心の記事と同じ章です。尤もパウロは回心の後で、ダマスコ伝道をしています。ここに「かなりの日数がたって」(2…

2021年7月25日「この最も小さな者に」(マタイによる福音書25章31~46節)

山上の説教に対応するようにして、この最後の説教、23~25章が語られてきました。今日の箇所で、それも終ります。次の26章から、いよいよ十字架へ向けての最後の歩みがはじまります。 この最後の説教では、最後の審判、主イエスの再臨の時が描かれてい…

2021年7月18日「タラントンの例え」(マタイによる福音書25章14~30節)

再臨・終末へ向けての三つの例えの、今日は三番目、最後です。一つ目が、「まだまだ来ない」と思い込んで犯す過ちを、二つ目が、「すぐに来る」と思い込んで犯す過ちを、諭していました。今日の例えは、文脈は離れて記憶されていることが多い例えです。実際…

2021年7月11日「十人の乙女」(マタイによる福音書25章1~13節)

前回から、再臨・終末へ向けての三つの例えに入りました。前回はその一つ目で、忠実で賢い僕の話でした。悪い僕は、まだまだ主人は帰って来ないと思い込んで、悪事を行います。そして裁かれます。 今日の例えでは、全く逆の事が起こっています。まず1節です…

2021年7月4日「忠実で賢い僕」(マタイによる福音書24章45~51節)

前回から、「突然に」終末・再臨が来るのだという文脈です。しかもそれは、誰にでも分かる仕方で(27・28節)来ます。更にその時は、父なる神のみがご存じで、子なる神、イエス・キリストでさえ知りません(36節)。ノアの洪水の時のように(37節~…

2021年6月27日「目を覚ましていなさい」(マタイによる福音書24章36~44節)

前回、主が来られる予兆・終末の予兆について、まるで真逆の二つのことが語られているということを申し上げました。一つは前回のいちじくの木の教えです。予兆はあるのだから、きちんと見極めなさい、ということでした。いま一つは、「突然に」です。今回と…

2021年6月20日「主の言葉は滅びない」(マタイによる福音書24章32~35節)

前回は、人の子、主イエスが、誰にでも分かるような仕方で(稲妻やはげ鷹)来るのだという箇所でした。その予兆として、今まで描かれてきた終末以前の出来事が起こります。それを明確に語るのが、いちじくの木の例えです。32・33節です。 主が来られる予…

2021年6月13日「人の子は来る」(マタイによる福音書24章15~31節)

前回は、飢饉や戦争、地震などが起こるが、それは終末ではない。様々なことが起こった後で、終末が来る。最後に、「それから、終わりが来る(14節)」とありますように、まだ終りではなくて、「産みの苦しみの始まり」(8節)です。終わりよりも前の大切…

2021年6月6日「福音は全世界に」(マタイによる福音書24章1~14節)

5章から7章の山上の説教に対応して、23章から25章には最後の説教です。山上の祝福に対応して、23章では、「不幸だ」と語られていました。今日の箇所は、主イエスの28節の言葉に対する弟子たちの反応からはじまっています。28節の「家」は単数形…

2021年5月30日「主イエスの嘆き」(マタイによる福音書23章29~39節)

前回ペンテコステで別の聖書箇所を読みましたが、今日はマタイの講解説教に戻ります。今日の聖書箇所前半(36節まで)は、前回も読みました。しかし、説教では主に28節までをみましたので、36節まで今一度読みます。この箇所は、律法学者とファリサイ…

2021年5月23日「神の霊を注がれて」(ヨエル書2章23~3章2節)

ペンテコステ、おめでとうございます。 ペンテコステは、イースター・クリスマスと並ぶ、教会の三つのお祝いの一つです。また教会の誕生日でもあります。なぜならば、使徒言行録にあるように、聖霊が降臨してはじめて、教会ははじまったからです。更に、今日…

2021年5月16日「外側と内側と」(マタイによる福音書23章25~36節)

今回も前回に続いて、「不幸」が語られています。この「ウーアイ」という言葉は、何回でも繰り返し述べますが、嘆きの言葉です。遠く離れた高みから見下ろして、「不幸だ」と宣言しておられるのではありません。すぐ傍で嘆きます。手を差し伸べて、御国に招…

2021年5月9日「偽善者の不幸」(マタイによる福音書23章13~24節)

前回申し上げましたように、この3章(23~25章)は、山上の説教(5~7章)に対応するものです。決定的に異なるのは、山上の説教が「幸い」を語っていたのに対しまして、今回は「不幸」が語られています。それは、時間の流れとして、今回は主イエスの…

2020年5月2日「だが、あなたがたは」(マタイによる福音書23章1~13節)

この福音書では、最も大切な教えとして、最初の方に山上の説教があります(5~7章)。それと対をなして、今日の箇所から3章(23~25章)、若干の例外はありますが、主イエスが語られます。前回、もはや論争が終りました。そしてこの主イエスの教えの…

2021年4月25日「ダビデの子」(マタイによる福音書22章41~46節)

「ダビデの子」という呼び方は、当時救い主の呼び方として定着していました。実際、主イエスのエルサレム入城の際には、人々が(子どもたちまでも)そう叫びました。それに対して主イエスは否定なさいません。それどころか、黙らせるならば、道端の石ころが…

2021年4月18日「二つの掟」(マタイによる福音書22章34~40節)

今日の二つの掟こそが大切なのだという話は、共観福音書全てで出てきます。しかしそのあらわれ方がそれぞれに特徴的です。マタイの特徴は、34・35節に出てきます。きっかけははっきりしています。主イエスが復活問答でサドカイ派の人々を言い込められた…

2021年4月11日「神のものは神に」(マタイによる福音書22章15~22節)

今日は、主イエスの賢さがとても際立つ問答です。まずファリサイ派の人々が、主イエスを罠にかけようと相談します。15節です。そして、(自分たちが行くのではなくて)弟子たちを派遣します。しかもヘロデ党の人々と共に。16・17節です。まず彼らはお…

2021年4月4日「復活とは」(マタイによる福音書22章23~33節)

イースターおめでとうございます 次回の(聖書ではすぐ前の箇所の)税金問答とは異なり、今日の箇所にはサドカイ派の人々が出てきます。23節です。ここでは、復活はないと主張していることだけが紹介されています。彼らは、聖書がモーセ五書だけだと主張し…

2020年3月28日「婚宴のたとえ」(マタイによる福音書22章1~14節)

今日の例えは、ルカにもよく似たものがあります。しかし決定的に異なるのは、6・7節です。ルカでは文脈が異なることもあって、この厳しい言葉はありません。この例えが意味するところは明白です。前もって招かれていたのに断ったのは、当時の宗教的指導者…

2021年3月21日「ぶどう園と農夫」(マタイによる福音書21章33~46節)

今日の聖書箇所最後で、小さな権力者たちは、この二つの例えが自分たちのことを言っていると気が付きます。しかし(ここでも)群衆を恐れて、主イエスを捕らえたいけれどもできません。45・46節です。 この例え話は、途中までは実際にありそうなことです…

2021年3月14日「二人の息子」(マタイによる福音書21章28~32節)

今日の聖書箇所で、まずポイントになるのは、主イエスが誰に向かってこの例え話を語っておられるのか、です。それは、前回の「祭司長や民の長老たち」です。するとこの例えが何を表現しているかも分かります。例え自体は、28~30節です。とても分かりや…

2021年3月7日「何の権威で」(マタイによる福音書21章23~27節)

今日の聖書箇所は、エルサレム入城の翌日、月曜日のことが続きます。まず、23節です。当時の宗教的・政治的権力者(小さな権力者)たちが、主イエスの行いに対して、その権威を問います。昨日のエルサレム入城や宮清めのことが問題になっています(主イエ…

2021年2月28日「実を結ぼう」(マタイによる福音書21章18~22節)

今日の聖書箇所はマタイではエルサレム入城の翌日、月曜日のことです。この出来事は、福音書の中でも特に難しく分かりにくい出来事だといえるでしょう。といいますのも、この奇跡だけが唯一、否定的な奇跡だからです。18・19節です。「空腹を覚えられた…

2021年2月21日「祈りの家と」(マタイによる福音書21章12~17節)

前回はエルサレム入城でした。入城して、主イエスはまず何をしたのでしょうか。12・13節です。いわゆる宮清めです。柔和な方である主イエスが、ほぼこの箇所でだけは、とても厳しく激しいのです。そこでこの箇所は、暴力的で過激なことをよしとなさる方…