これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年6月9日「ナザレの人と」(マタイによる福音書2章19~23節)

前回ペンテコステのために講解説教の順番からいいますと少し先になります、主イエスの洗礼の箇所をみました。今日は、少しだけ遡って、元の流れに戻ります。ヘロデは(史実として認められるかどうかは微妙ですが)二歳以下の男の子を皆殺しにします。このヘ…

2019年6月9日「イエスの洗礼」(マタイによる福音書3章13~17節)

今日は、マタイによる福音書の講解説教、三回目です。前回申し上げました通り、今日はペンテコステ礼拝ですので、この箇所にしました。主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになられる。すると、神の霊、聖霊が降る。旧約聖書の時代から、神の霊、聖霊が…

2019年6月2日「エジプト避難」(マタイによる福音書2章13~18節)

今日は、マタイによる福音書の講解説教、二回目です。1章後半から2章前半はクリスマスの季節にとっておきます。また、来週が3章後半なのは、ペンテコステのためです。今日の箇所では、占星術の学者たちが帰った後の一つのエピソードが描かれています。ヘ…

2019年5月19日「系図の女たち」(マタイによる福音書1章1~17節)

今日からマタイによる福音書の講解説教です。最初に系図があって、「さあ新約聖書を読んでみよう」とはりきった未信者の方が、この最初の頁で挫折してしまうという話はよく聞きます。しかしかつては識字率が低く、書物も高価であったので、あまり問題にはな…

2019年5月12日「昇天」(マルコによる福音書16章19・20節)

今日でそれなりに長かったマルコによる福音書の講解説教も最終回です。来週からはマタイです。今日の箇所は、福音書に描かれてきたような出来事の後で、主イエスが昇天なさった記事と、弟子たちの世界宣教の記事です。19節。まず、「昇天」と「召天」の違…

2019年5月5日「かたくなな心と宣教命令」(マルコによる福音書16章14~18節)

8節までで本来のマルコ福音書は、終わっています。前回の箇所では二つの「信じなかった」がありました。復活の主に出会った人々の証言を信じない弟子たちの姿です。それだから14節。不信仰とかたくなな心をとがめられます。そしてマルコ福音書では、この…

2019年4月28日「信じなかった」(マルコによる福音書16章9~13節)

前回の箇所までで本来のマルコ福音書は、終わっています。しかし聖書が編まれた時点で既に、9節以下は付加されていました。他の三つの福音書では、復活の告知と顕現の両方がありますから、告知しかないマルコ福音書に付加するのは、顕現です。しかも勝手に…

2019年4月21日「復活の恐れ」(マルコによる福音書16章1~8節)

前回の箇所で十字架上の死、そして埋葬がありました。今日の箇所はマルコ福音書の(本来の)最後の箇所です。しかしその終わり方はあまりにも唐突です。8節。主の復活の顕現もありません。ギリシャ語では、「ガル」で終わっているのも不自然です。だからか…

2019年4月14日「死と墓と」(マルコによる福音書15章33~47節)

主イエスは前回の箇所で十字架につけられました。午前九時のことです。マルコによる福音書では、特に、主イエスに対する人々のののしりが印象的に描かれています。そして、今日の箇所では、昼の十二時です。33節。神の子が十字架につけられたことを悲しむ…

2019年4月7日「ユダヤ人の王」(マルコによる福音書15章21~32節)

主イエスは前回の最後の箇所(20節)で、十字架につけられるために外へ引き出されました。そして今日の箇所でまず出てくるのは、シモンです。21節。「田舎」は今度の翻訳では、「畑」になりました。シモンは何か目的をもってここに居合わせたのではあり…

2019年3月31日「十字架につけろ」(マルコによる福音書15章6~20節)

主イエスは前回、総督ピラトに引き渡されました。尋問を受けても、2節の言葉以外何も語らないので、ピラトは不思議に思います。今日の箇所は恩赦の話です。6節。ピラトはかなり横暴な総督で、赴任の時から問題を起します。しかしこの恩赦というのは、民衆…

2019年3月24日「黙っているとき」(マルコによる福音書15章1~5節)

前回はぺトロの否認の記事で、ぺトロは主イエスが仰る通りに三回も知らないと言い、最後には泣き崩れたのでした。その前は(同じ時になされた)主イエスに対するでたらめな裁判でした。どちらも恐らくは夜中のことですから、夜が明けます。1節。当時、ユダ…

2019年3月17日「自信が砕かれるとき」(マルコによる福音書14章66~72節)

前回の聖書箇所最初のほう、54節にもぺトロは登場します。ですから前回の裁判の記事と、今日のペトロの記事とは、同じ時に近い場所で起こった二つの出来事です。ルカによる福音書では、このときに主イエスがペトロの方を振り向いたという(22章61節)…

2019年3月10日「でたらめな裁判」(マルコによる福音書14章53~65節)

先週フィリピの信徒への手紙を終わりました。今日からマルコに戻ります。昨年の6月、主イエスの逮捕で中断していました。逮捕は大きな区切りではありますが、まだ福音書は終わっていません。むしろこれから、大切な受難物語です。今回、受難節(レント)に…

2019年3月3日「キリストの恵みが」(フィリピの信徒への手紙4章21~23節)

昨年の 7月 1日から読み始めましたフィリピの信徒への手紙も、34回、今日で終わります。今回は結びの言葉だけです。前回、神がフィリピの教会の人々に必要なものをすべて満たして下さることを確言したパウロは、最後に頌栄、神への栄光を求める祈りの言葉…

2019年2月24日「満たして下さる神」(フィリピの信徒への手紙4章19・20節)

次回は結びの言葉ですから、今日の箇所でこの手紙はほぼ終わりです。しかも後半は神への讃歌・賛美ですから、19節がほぼ本文の最後の言葉です。前回は私たちの捧げ物(金銭や財産ばかりではなくて、奉仕や祈りも)がどんなに小さく拙いものであっても、神…

2019年2月17日「香ばしい香り」(フィリピの信徒への手紙4章15~18節)

今日は特に、18 節を中心にみていきます。何回か申し上げてきましたように、10~20節は、「感謝なき感謝」で、直接的な感謝の言葉はありません。しかしパウロは、単純に感謝を述べるよりも、更に深いことを語っています。その一つ、前回は「共に苦しむ…

2019年2月10日「苦しみを共に」(フィリピの信徒への手紙4章12~17節)

今日は特に、14節を中心にみていきましょう。前回申し上げましたように、10~20節は、「感謝なき感謝」と言われますように、直接的な感謝の言葉はありません。しかしパウロは、単純に感謝を述べるよりも、更に深いことを語っています。その一つが14…

2019年2月3日「いついかなる場合にも」(フィリピの信徒への手紙4章10~13節)

20節までに、(新共同訳聖書では)「贈り物への感謝」という表題を付けています。今回はこの箇所を4回にわたって、少しずつ聖書箇所をずらしながら、みていきます。この箇所全体の特徴として、多くの方々が指摘するのは、感謝なき感謝ということです。行…

2019年1月27日「平和の神は」(フィリピの信徒への手紙4章8・9節)

前回は、思い煩わないで、神に全てを打ち明けることで、神の平和に守られた生き方をすることが勧められていました。今日は手紙の最後の部分になります。一つの見方は、この手紙が幾つかの手紙を組み合わせたものであり、今日の箇所は4章1節の続きだと読み…

2019年1月20日「神に打ち明ける」(フィリピの信徒への手紙4章6~7節)

2019年1月13日「広い心を」(フィリピの信徒への手紙4章4・5節)

今日からまた、フィリピの信徒への手紙の講解説教に戻ります。前回の箇所では、二人の女性指導者の間の争い・不一致・不和の問題でした。今日の箇所では、もっと一般的な勧めです。4節。この「喜ぶこと」については、既に何回もこの手紙では扱われてきた勧…

2019年1月6日「平和を追い求めよ」(詩編34編)

今日は、ローズンゲン(日々の聖句)の年の聖句です。15節の後半、「平和を尋ね求め、追い求めよ」。最初に、「289版の序」を紹介いたします。ここにヘルンフート兄弟団の思いを聞くことができます。……。 今日の聖書箇所、詩編34編は、感謝の賛美の歌…

2018年12月30日「共に戦う」(フィリピの信徒への手紙4章2~3節)

今日の聖書箇所は、前回(4章1節、先々週)からは少し唐突な感じがします。そこで、3章1節前半から今日の箇所へ繋げて読んで、前回までの箇所は別の手紙だという読み方もあります。パウロは手紙も終盤に近づく中で、フィリピの教会で実際にあった問題に…

2018年12月23日「神の恵みが現れた理由」(テトスへの手紙2章11~15節)

クリスマスおめでとうございます。 今日はフィリピの講解説教をお休みして、聖書日課のクリスマスの聖書箇所(クリスマスによく読まれる聖書箇所)です。11節。この恵みとは、神の子イエス・キリストを与えられたことにほかなりません。「すべての人々」が…

2018年12月16日「しっかりと立て」(フィリピの信徒への手紙4章1節)

<p">https://www.dropbox.com/s/?dl=0> 今日から4章(最後の章)に入りますが、多くの方がそう捉えるように、今日の1節までで、3章からはじまった勧告が終わります(新共同訳聖書もそうです)。パウロは、十字架に敵対して歩んでいる人々の最後が滅びであって</p">…

2018年12月9日「本国は天にあり」(フィリピの信徒への手紙3章18~21節)

前回はパウロが「わたしに倣う者となりなさい」と勧める箇所でした。パウロは今獄中にいます。フィリピの教会の人々の所へ行って励ましたいのだけれども、それは、できません。だから、エパフロディトやテモテを送ります。丁寧に手紙を認めます。パウロが敵…

2018年12月2日「私に倣いなさい」(フィリピの信徒への手紙3章17節)

今日の聖書箇所は、17節の一節だけです。この言葉はきちんと説明をしなければ、分かりにくい言葉であろうと思うからです。謙遜が美徳とされるこの日本社会で、随分と傲慢なことをパウロは言っていると、誤解されかねません。パウロは自信に溢れているのだ…

2018年11月25日「目標を目指して」(フィリピの信徒への手紙3章12~16節)

前回は同じ聖書箇所で、12節の最後、「キリスト・イエスに捕らえられて」に集中しました。私達が、「既に」と「未だ」の間にあって生きることができるのは、「キリストに捕らえられ」たという「既に」があるからです。だから13・14節。「未だ」の目標…

2018年11月18日「キリストに捕らえられて」(フィリピの信徒への手紙3章12~16節)

前回申し上げましたように、パウロが戦う相手は、ユダヤ人キリスト者です。彼らは、律法遵守や割礼を大切なこととして教えておりました。更に、自分たちは既に完成しているという主張が、彼らの特徴です。それに対して、パウロや私達は、「既に」と「未だ」…