これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年8月9日「広がりゆく神の支配」(マタイによる福音書13章31~43節)

前回は平和聖日で、毒麦の例えから、消極的平和をみました。前回申し上げましたように、種蒔きの例えと毒麦の例えとは、似た構造になっています。例えと例えの解説の間に別のものが挟まれています。今日の箇所は、短いながら、四つの部分からなります。第一…

2020年8月2日「毒麦を抜くな」(マタイによる福音書13章24~30節)

今日、日本基督教団では、平和聖日と定めています。以前、積極的平和ということが話題になりました。この国ではかなり歪んだ理解でしたが、今日はそのことがテーマではありません。むしろ消極的平和ということを今日の聖書箇所からみてみたいと思います。こ…

2020年7月26日「なぜ例えを用いるのか」(マタイによる福音書13章10~17節)

今日の箇所は、種蒔きの例えとその説明に挟まれた部分です。なぜ(弟子たちが直接天の国の秘密を悟ることが許されているに)群衆は例えを用いて間接的にしか聞くことができないのか、弟子たちが主イエスに聞きます。10節です。主イエスはお答えになります…

2020年7月19日「種を蒔く人」(マタイによる福音書13章1~23(10~17を除く)節)

今日の箇所は、いつもと異なり、10節から17節を省いています(次回扱います)。前半が種を蒔く人のたとえそのもので、省いた部分がたとえを用いて話す理由、そして後半がたとえの主イエスご自身による説明です。しかし学問的には、たとえそのものは主イ…

2020年7月12日「主イエスの家族となる」(マタイによる福音書12章46~50節)

今日の箇所は、ベルゼブル論争と天国の例えの間に挟まれた箇所です。「なお話しておられるとき」が前回までとの繋がりを示しています。また、「天の父の御心を行う」という言葉が、次回からの天国の例えへと繋がっていきます。最初の2節が、今回の出来事の…

2020年7月5日「空白はいけない」(マタイによる福音書12章43~45節)

ベルゼブル論争からはじまった箇所は、今日の主イエスのたとえ話で終ります。このたとえ話に出てくるのは、汚れた霊です。例えの出来事自体はとても単純です。汚れた霊がまず、誰かから出て行きます。43節です。なぜ出て行くのかは描かれていません。休む…

2020年6月28日「罪に定めるもの」(マタイによる福音書12章38~42節)

前回まで、ベルゼブル論争の主イエスの言葉でした。悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのではない、既にここに神の霊、聖霊が来ているのだ。聖霊を冒涜し、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されない。そして人は、裁きの日に自分の言葉によって裁かれ…

2020年6月21日「自分の言葉によって」(マタイによる福音書12章33~37節)

今日の聖書箇所は、前回の箇所と密接に繋がっています。前回は、ファリサイ派の人々の暴言に対して主イエスが語り始めました。聖霊を冒涜する罪、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されることがないと語られました。今日の箇所では、「自分の言葉によって」、最後…

2020年6月14日「赦されない罪」(マタイによる福音書12章22~32節)

新しい単元に入って三回目です。今日の箇所ではまず主イエスが、一つのいやしをなさいます。それに対する群衆の反応は、23節です。とても素直な反応です。しかしファリサイ派の人々の反応は全く異なります。24節です。よりによって、悪霊の頭ベルゼブル…

2020年6月7日「殺害の計画と救いの実現」(マタイによる福音書12章9~21節)

先週から新しい単元に入りました。ファリサイ派の人々と主イエスとの対立が高まっていきます。今日の箇所では、ファリサイ派の人々の目の前で、会堂で安息日規定を破ります。前回の出来事と恐らく同じ日、主イエスは会堂に入られます。安息日です。そこで、…

2020年5月31日「安息日の主」(マタイによる福音書12章1~8節)

今日から新しい単元に入ります。ファリサイ派の人々と主イエスとの対立が高まっていきます。今日の出来事の発端は、弟子たちが麦の穂を摘んで食べることです。その行為そのものは何の問題もありません。かつてはこの国もそうでしたし、律法にきちんと書かれ…

2020年5月24日「私の軛(くびき)は」(マタイによる福音書11章25~30節)

今日の聖書箇所は、「そのとき」とはじまっています。前回見た、町々を叱った、主イエスが「ウーアイ」と嘆かれたときです。まず前半、25~27節をみましょう。まずここで私達のフツウの感覚で不思議なのは、主イエスが父なる神をほめたたえていることで…

2020年5月17日「悔い改めない町々を」(マタイによる福音書11章20~24節)

前回、洗礼者ヨハネを巡ってのお話しが終りました。そして、今日の箇所は、12章からの、イスラエル当局と主イエスとの対立が激しくなっていく箇所の先触れです。主イエスの多くの奇跡にもかかわらず、悔い改めない町々への叱責の言葉です。これは前回の「今…

2020年5月10日「洗礼者ヨハネを語る②」(マタイによる福音書11章15~19節)

先週、弟子たちを主イエスのもとに遣わした洗礼者ヨハネが誰であるのか、主イエスは群衆に語りました。このヨハネこそ、最も偉大な人であり、主イエスの先触れである(道を備える)エリヤです。しかしそのヨハネでさえも、天の国では、私達の最も小さな者よ…

2020年5月3日「洗礼者ヨハネを語る①」(マタイによる福音書11章7~14節)

先週、主イエスのもとに洗礼者ヨハネの弟子たちが「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねにきました。前回、彼らに対する主イエスの答えがありました。今日はヨハネの弟子たちが帰った後で、主イエスが群衆に語った言葉の前半です。多くの人々が、悔い改…

2020年4月26日「来るべき方」(マタイによる福音書11章2~6節)

先週主イエスは、弟子たちを派遣するにあたっての言葉を終えられました。今日は新しい展開、洗礼者ヨハネです。ヨハネが自分の弟子たちを獄中から主イエスのもとに派遣します。2・3節です。なぜ主イエスが洗礼を授けて欲しいと願った時には、「私にはその…

2020年4月19日「受け入れる人の報い」(マタイによる福音書10章40~11章1節)

先週私達はイースターにあたって、命を得る生き方について学びました。今日はその続きとして、そのような生き方をする私達を受け入れる人の報いについてです。そしてまた、主イエスが十二人の弟子たちを送るにあたっての言葉の締めくくりでもあります。 まず…

2020年4月12日「命を得る生き方」(マタイによる福音書10章34~39節)

イースターおめでとうございます。 現在私達は、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉をみています。前回は、ただ神のみを恐れることが教えられていました。そこでは、神以外の全てを恐れない生き方があります。 今日はその続きとして、命…

2020年4月5日「何を恐れるべきか」(マタイによる福音書10章24~33節)

現在私達は、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉をみています。前回は、狼の群れに送り込まれる羊のように、迫害があるのだという箇所でした。その迫害の現実の中で、最初の24・25節では、主イエスをベルゼブルというような人々は、…

2020年3月29日「狼の群れの中で」(マタイによる福音書5章

前回から10章に入りました。今日は、前回の続き、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉です。特に印象深いのは、最初の16節でしょう。一つは、狼の群れに送り込まれる羊のたとえです。今一つは、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」…

2020年3月22日「平和を願う私たち」(マタイによる福音書10章1~15節)

今日から10章になります。前回(9章の最後)は、橋渡しの箇所でもありました。最後に、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願う(祈る)べきことが語られていました。そう語られた主イエスは、働き手として用いるためなのでしょうか、…

2020年3月15日「収穫の主に」(マタイによる福音書9章35~38節)

今日で9章が終ります。この箇所は8・9章の全体のまとめ、また10章への橋渡しの箇所です。最初の35節は、主イエスの活動の要所にマタイが書く言葉です(4章の最後参照)。そして主イエスが群衆を憐れまれる姿を描きます。[36節]この群衆がどんな…

2020年3月8日「驚嘆と頑なさ」(マタイによる福音書9章27~34節)

次回で9章が終るのですけれども、次回の箇所は全体のまとめ、また10章への橋渡しの箇所ですから、主イエスの奇跡や癒しを中心とする行動は、今日の箇所で締めくくりとなります。前半では、二人の盲人が癒されています。【27~31節】ここには、典型的…

2020年3月1日「十二年間も」(マタイによる福音書9章18~23節)

前回は、なぜ主イエスとその弟子たちが断食をしないのかという問いに答えるものでした。婚宴のような場では断食をしません。主イエスという花婿がおられるので、私たちの群れは喜びの群れであって、断食はありません。 しかしそれに続いて描かれるのは、二人…

2020年2月23日「新しい革袋に」(マタイによる福音書9章14~17節)

前回、主イエスは弟子たちばかりでなく、罪人や徴税人と共に食事をしていました。そして、ファリサイ派の人々の疑問に答える仕方で、自分が誰を招くために来たのか、語られました。今日の聖書箇所最初の「そのころ(そのとき)」は、この食事の席のことでし…

2020年2月16日「罪人を招くために」(マタイによる福音書9章9~13節)

前回は、中風の人の記事を通して、罪を赦す権威をみました。主イエスはその場所をたち、マタイに声を掛けます。9節。マルコやルカでは、レビです。なぜ名前が異なるのでしょうか。二つの可能性(二つの名前の同一人物、出来事が別々にあった)は蓋然性が低…

2020年2月9日「権威ある者」(マタイによる福音書9章1~8節)

今、主イエスの救いの行ないに関する、8・9章の箇所を丁寧に読んでいます。今日は、対岸、ガダラ人の地方から帰ってきまして、最初の出来事です。有名な、中風の人の記事です。しかしマルコやルカと異なり、屋根に穴を開けるエピソードは省かれています。…

2020年2月2日「かまわないでくれ」(マタイ8章28~34節)

今、主イエスの救いの行ないに関する、8・9章の箇所を丁寧に読んでいます。今日は、対岸、ガダラ人の地方です。その前、湖での嵐からも私達は様々なことを学びました。今日の箇所では、説教題を「かまわないでくれ」としました。もちろん、29節からです…

2020年1月26日「風や湖さえも」(マタイによる福音書8章23~27節)

今、主イエスの救いの行ないに関する、8・9章の箇所を丁寧に読んでいます。今日の箇所は、前回の箇所とまとめて読むべきだという意見もあります。前回、主イエスの弟子として生きることの覚悟が、二つの問答から教えられていました。主イエスは枕する所も…

2020年1月19日「枕する所もない」(マタイによる福音書8章18~22節)

今、主イエスの救いの行ないに関する、8・9章の箇所を丁寧に読んでいます。今日の箇所は、主イエスがそういう何かを行う場面ではなくて、二つの問答が記されています。まず、そのきっかけともなる主イエスの命令をみましょう。18節。主イエスはここでは…