これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年10月25日「サタン、引き下がれ」(マタイによる福音書16章21~28節)

福音書の頂点・分水嶺は、前回のペトロの告白と次章の山上の変貌です。そしてこの二つの出来事に挟まれる形で、最初の受難予告がなされています(今日の箇所です)。これはペトロの告白に呼応してなされました。21節です。しかしペトロはこの主イエスの告…

2020年10月18日「この岩の上に」(マタイによる福音書16章13~20節)

福音書の頂点・分水嶺は、この16章のペトロの告白と次章の山上の変貌です。なぜこの告白が頂点なのでしょう。三つの点に注目しましょう。まず第一に、人々の言葉ではなくて、「あなたがた」の告白、自分の言葉として責任ある発言だからです。13~16節…

2020年10月11日「しるしを欲しがる罪」(マタイによる福音書16章1~12)

福音書の頂点・分水嶺は、この16章のペトロの告白、そして次章の山上の変貌です。ここから先は、十字架へ向けて一直線に進んでいきます。その前に・今日の箇所に、既にユダヤの(宗教)指導者たちと主イエスの対立が激しく描き出されています。 まず彼らの…

2020年10月4日「主は憐れむ」(マタイによる福音書15章29~39節)

前回の箇所、カナンの女の信仰の箇所とは異なり、今日の聖書箇所には目新しいことは何もありません。前半は、主イエスの癒しの(纏めの)記事です。後半は、前の章にありました五千人の給食とよく似ています。今日は三つのことだけをみてみましょう。 まず第…

2020年9月27日「食卓から落ちるパン屑」(マタイによる福音書15章21~28節)

一般に福音書の頂点・中心は、もう少し先です。ペトロの信仰告白や山上の変貌の記事です。しかし私は、それ以前、今日の箇所にこそ決定的な出来事が起こっているのだと思います。この箇所に出てくるのは、主イエスとカナンの女と弟子たちです。弟子たちは脇…

2020年9月20日「人をけがすもの」(マタイによる福音書15章10~20節)

今日の箇所は、前回の箇所と合わせて一まとまりです。きっかけは、ファリサイ派の人々と律法学者たちの問いでした。前回の箇所では、父と母とを敬えという戒めがないがしろにされている、そこに昔の人の言い伝え(あなたがた自身の言い伝え)の最大の問題が…

2020年9月13日「神の言葉を無にする罪」(マタイによる福音書15章1~9節)

今日の箇所は、次回の箇所と合わせて一まとまりです。今回は、一度に語るのは無理だと感じました。前半を今日、後半を次回みてみます。きっかけは、ファリサイ派の人々と律法学者たちがやってきて、問います。1・2節です。ポイントは、「エルサレムから」…

2020年9月6日「信仰の薄い者よ」(マタイによる福音書14章22~36節)

今日は、五千人の給食の直後の記事です。主イエスは弟子たちを船出させます。22・23節です。「強いて」とあります。弟子たちの中には何人も漁師の人がいますから、湖の様子から船を出したくなかったかもしれません。しかし主イエスは彼らを行かせます。…

2020年8月30日「ヨハネの死と給食」(マタイによる福音書14章1~21節)

今日も前回同様、二つの部分をまとめて読みます。その対比をきちんと捉えるためです。時間的な流れから言いますと、一つ目の記事と二つ目の記事は繋がっていません。1・2節から、ヘロデが洗礼者ヨハネを以前に殺していて、そのヨハネが「生き返った」方と…

2020年8月23日「ナザレで」(マタイによる福音書13章51~58節)

今日の聖書箇所は、明らかに二つの部分からなります。前半の、天の国のことを学んだ学者と、後半の、主イエスが故郷で受け入れられない話です。二回に分けて語ろうか迷いました。しかし今回は一回で語ります。 まず前半をみましょう。今まで語られてきた天の…

2020年8月16日「天の国は」(マタイによる福音書13章44~50節)

今日もまた、天の国の例えの続きです。種蒔きの例えも毒麦の例えも、そしてからし種とパン種の例えも、既にみました。例えというものには、説明的言語と異なり、決して汲み尽くすことのできない豊かさがあります。今日も三つの例えから、そのような豊かさの…

2020年8月9日「広がりゆく神の支配」(マタイによる福音書13章31~43節)

前回は平和聖日で、毒麦の例えから、消極的平和をみました。前回申し上げましたように、種蒔きの例えと毒麦の例えとは、似た構造になっています。例えと例えの解説の間に別のものが挟まれています。今日の箇所は、短いながら、四つの部分からなります。第一…

2020年8月2日「毒麦を抜くな」(マタイによる福音書13章24~30節)

今日、日本基督教団では、平和聖日と定めています。以前、積極的平和ということが話題になりました。この国ではかなり歪んだ理解でしたが、今日はそのことがテーマではありません。むしろ消極的平和ということを今日の聖書箇所からみてみたいと思います。こ…

2020年7月26日「なぜ例えを用いるのか」(マタイによる福音書13章10~17節)

今日の箇所は、種蒔きの例えとその説明に挟まれた部分です。なぜ(弟子たちが直接天の国の秘密を悟ることが許されているに)群衆は例えを用いて間接的にしか聞くことができないのか、弟子たちが主イエスに聞きます。10節です。主イエスはお答えになります…

2020年7月19日「種を蒔く人」(マタイによる福音書13章1~23(10~17を除く)節)

今日の箇所は、いつもと異なり、10節から17節を省いています(次回扱います)。前半が種を蒔く人のたとえそのもので、省いた部分がたとえを用いて話す理由、そして後半がたとえの主イエスご自身による説明です。しかし学問的には、たとえそのものは主イ…

2020年7月12日「主イエスの家族となる」(マタイによる福音書12章46~50節)

今日の箇所は、ベルゼブル論争と天国の例えの間に挟まれた箇所です。「なお話しておられるとき」が前回までとの繋がりを示しています。また、「天の父の御心を行う」という言葉が、次回からの天国の例えへと繋がっていきます。最初の2節が、今回の出来事の…

2020年7月5日「空白はいけない」(マタイによる福音書12章43~45節)

ベルゼブル論争からはじまった箇所は、今日の主イエスのたとえ話で終ります。このたとえ話に出てくるのは、汚れた霊です。例えの出来事自体はとても単純です。汚れた霊がまず、誰かから出て行きます。43節です。なぜ出て行くのかは描かれていません。休む…

2020年6月28日「罪に定めるもの」(マタイによる福音書12章38~42節)

前回まで、ベルゼブル論争の主イエスの言葉でした。悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのではない、既にここに神の霊、聖霊が来ているのだ。聖霊を冒涜し、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されない。そして人は、裁きの日に自分の言葉によって裁かれ…

2020年6月21日「自分の言葉によって」(マタイによる福音書12章33~37節)

今日の聖書箇所は、前回の箇所と密接に繋がっています。前回は、ファリサイ派の人々の暴言に対して主イエスが語り始めました。聖霊を冒涜する罪、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されることがないと語られました。今日の箇所では、「自分の言葉によって」、最後…

2020年6月14日「赦されない罪」(マタイによる福音書12章22~32節)

新しい単元に入って三回目です。今日の箇所ではまず主イエスが、一つのいやしをなさいます。それに対する群衆の反応は、23節です。とても素直な反応です。しかしファリサイ派の人々の反応は全く異なります。24節です。よりによって、悪霊の頭ベルゼブル…

2020年6月7日「殺害の計画と救いの実現」(マタイによる福音書12章9~21節)

先週から新しい単元に入りました。ファリサイ派の人々と主イエスとの対立が高まっていきます。今日の箇所では、ファリサイ派の人々の目の前で、会堂で安息日規定を破ります。前回の出来事と恐らく同じ日、主イエスは会堂に入られます。安息日です。そこで、…

2020年5月31日「安息日の主」(マタイによる福音書12章1~8節)

今日から新しい単元に入ります。ファリサイ派の人々と主イエスとの対立が高まっていきます。今日の出来事の発端は、弟子たちが麦の穂を摘んで食べることです。その行為そのものは何の問題もありません。かつてはこの国もそうでしたし、律法にきちんと書かれ…

2020年5月24日「私の軛(くびき)は」(マタイによる福音書11章25~30節)

今日の聖書箇所は、「そのとき」とはじまっています。前回見た、町々を叱った、主イエスが「ウーアイ」と嘆かれたときです。まず前半、25~27節をみましょう。まずここで私達のフツウの感覚で不思議なのは、主イエスが父なる神をほめたたえていることで…

2020年5月17日「悔い改めない町々を」(マタイによる福音書11章20~24節)

前回、洗礼者ヨハネを巡ってのお話しが終りました。そして、今日の箇所は、12章からの、イスラエル当局と主イエスとの対立が激しくなっていく箇所の先触れです。主イエスの多くの奇跡にもかかわらず、悔い改めない町々への叱責の言葉です。これは前回の「今…

2020年5月10日「洗礼者ヨハネを語る②」(マタイによる福音書11章15~19節)

先週、弟子たちを主イエスのもとに遣わした洗礼者ヨハネが誰であるのか、主イエスは群衆に語りました。このヨハネこそ、最も偉大な人であり、主イエスの先触れである(道を備える)エリヤです。しかしそのヨハネでさえも、天の国では、私達の最も小さな者よ…

2020年5月3日「洗礼者ヨハネを語る①」(マタイによる福音書11章7~14節)

先週、主イエスのもとに洗礼者ヨハネの弟子たちが「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねにきました。前回、彼らに対する主イエスの答えがありました。今日はヨハネの弟子たちが帰った後で、主イエスが群衆に語った言葉の前半です。多くの人々が、悔い改…

2020年4月26日「来るべき方」(マタイによる福音書11章2~6節)

先週主イエスは、弟子たちを派遣するにあたっての言葉を終えられました。今日は新しい展開、洗礼者ヨハネです。ヨハネが自分の弟子たちを獄中から主イエスのもとに派遣します。2・3節です。なぜ主イエスが洗礼を授けて欲しいと願った時には、「私にはその…

2020年4月19日「受け入れる人の報い」(マタイによる福音書10章40~11章1節)

先週私達はイースターにあたって、命を得る生き方について学びました。今日はその続きとして、そのような生き方をする私達を受け入れる人の報いについてです。そしてまた、主イエスが十二人の弟子たちを送るにあたっての言葉の締めくくりでもあります。 まず…

2020年4月12日「命を得る生き方」(マタイによる福音書10章34~39節)

イースターおめでとうございます。 現在私達は、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉をみています。前回は、ただ神のみを恐れることが教えられていました。そこでは、神以外の全てを恐れない生き方があります。 今日はその続きとして、命…

2020年4月5日「何を恐れるべきか」(マタイによる福音書10章24~33節)

現在私達は、主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたっての言葉をみています。前回は、狼の群れに送り込まれる羊のように、迫害があるのだという箇所でした。その迫害の現実の中で、最初の24・25節では、主イエスをベルゼブルというような人々は、…