これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年1月22日「神の言葉をとって」(エフェソの信徒への手紙6章10~17節)

 エフェソの信徒への手紙も終わりが近づいてきました。人間関係の教えが終って、今日の箇所は本来文脈としては、20節まで一纏まりなのですが、神の武具を身に付けることが語られている前半(今日)と祈りの大切さが語られている後半(次週)の二回に分けてみていきましょう。
 この手紙の著者は、11節と13節の二回、「神の武具を身に着けなさい」といいます。10~13節です。まず著者は、「最後に言う」と申します。この手紙がもうすぐ終ります。そして神の武具を身に着けるのは、悪魔の策略に対抗して立つためです。いかがわしい新興宗教がいうような、信者をこの世界の情報から遮断するための「サタンの策略」ではありません。だから12節に戦いの相手がはっきり描かれています。血肉ではないのです。「支配と権威…」です。戦争のシニカルな小話で、同じ神様に敵対する両者が勝利を願うというのがあります。それこそ、戦う相手が分かっていないのでしょう。
 次に14~17節で、神の武具とはどういうものであるか述べられています。真理、正義、平和の福音を告げる準備、救い、霊の剣すなわち神の言葉を具体的に一つひとつみていく必要はないでしょう。トータルでどういう姿勢であるべきかを捉えることが大切です。ここに描かれていることは、例えば神の言葉は霊の剣であるとか、胸当てとしての正義、盾としての信仰など、攻撃的な武具か防御的な武具かという位の把握でいいでしょう。全体的なイメージをきちんともちましょう。
 この世界で生きていくことは、「何となく」で戦えるような安易なものではなくて、激しく厳しい、神の武具がどうしても必要な戦いがあります。