これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年8月28日「この苦難は栄光」(エフェソの信徒への手紙1章1~5節)

 前回申し上げましたように、1節は14節に繋がるのであって、2節から13節は挿入部分です。今日は挿入部分の後半です。まず7節です。前回語られたような神の力によって、パウロは恵みを賜り、福音に仕える者になりました。その際のパウロの自覚が次の8節前半です。この「最もつまらない者」というのは、パウロの真実の自覚であって、卑下したとかではありません。
 そしてパウロは異邦人に福音を告げます。8節後半9節です。この秘められた計画とは、前回みましたように、天地創造のはじめから、神は異邦人の救いを計画しておられたことです。
 次にはじめて、「教会」が出てきます。10・11節です。神の知恵が(現代の私達には分かりにくい)天上の支配や権威に知られるようになったのは、教会によります。教会の宣教の使命は、単に人間に対するものではありません。もっと広い宇宙的な広がりのあるものです。そしてこれは、神の永遠の計画に沿っています。
 それですから、最後に12・13節です。大胆に神に近づくというのは以前にも(2章18節)語られていました。これはより信仰的に深く神の傍で生きるということであり、私達には理解しがたい神の御旨に私達が近づいていくということでもあります。しかし何よりも、聖霊(神の霊、キリストの霊)が私達の内に生きて働いて、私達がキリストの後に従う者たちとして相応しく生きることができるようになっていくことでしょう。
 そのような私達が、神を知らない人々からこうむる苦難は、絶対的なものではなくて、一時的なもの、過ぎ去るもの、私達が与えられる神の国には無関係なものてす。それは時に、とても悲惨な絶えがたい場合もあります。しかそれでもなお、私達はたえしのぶことができます。そのような苦難は、また信仰に生きる誰かの栄光であるからです。「苦難は栄光」である、このことを大切にして、新しい一週間を歩みましょう。