これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年2月6日「母の胎内にあるときから」(ガラテヤの信徒への手紙1章11~17節)

 今日の聖書箇所は、本来24節までで一纏まりです。しかし長すぎるので、今日は段落の変わる17節までにします。最初の2節で、前回の箇所に続くような、福音の由来が語られます。11・12節です。人から受けたのではなくて、イエス・キリストの啓示によって知らされたというのは、決して教会の・人間の伝承を否定するものではありません。そうではなくて、決定的な福音の出来事は、パウロのダマスコ途上の出来事のように、劇的な場合もあれば、本当に静かな場合もありますけれども、「啓示」としかいいようのない神の働きによるのだということです。
 そしてパウロは、実際にどうであったかを語ります。(使徒言行録にもパウロの回心の体験は三回にわたって述べられますが、二次資料です。)まずキリストと出会う以前のパウロです。13・14節です。熱心なユダヤ教教徒でした。熱心にキリスト者を迫害していました。
 そんなパウロがキリストと出会います。15~17節です。主イエス・キリストと出会ったとき、パウロは、自分が母親の胎内にいるときから(つまり生まれる前から)選び分かたれていたことに気づくのです。それは、福音を異邦人に告げ知らさせるためでした。このことからも、11・12節の言葉が、教会・人間の伝承を否定するものではないことが明らかです。神は、使徒をはじめ、私達人間を通して福音を伝えます。しかし、私達一人一人の人間にとって、この福音が、単なる理屈・知識ではなくて、自分の実存に関わる救いの出来事だと得心するためには(それゆえ母の胎内にいる時から自分が選ばれていたのだと分かるのは)、啓示によるしかないのです。もしもあなたがまだ救い・福音を信じておられないならば、この啓示を神に祈りましょう。もしも信じておられるならば、この救いの確信をより確かなものにして頂くように、神に祈りましょう。