これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年2月26日「ヨハネ誕生の予告」(ルカによる福音書1章5~20節)

 先週(前回)から、ルカによる福音書を読み始めました。他の福音書とは異なり、ルカによる福音書は、主イエス以前のこともそれなりに描いています。今日の箇所はまだそういう箇所の一つで、洗礼者ヨハネの父親、ザカリアに主の天使が現れて、ヨハネの誕生を告げます。まず、11・12節です。神や主の天使の顕現では、この恐怖・恐れこそが際だった特徴です。だからこそ、「恐れることはない」という言葉が神顕現のしるしです。13節です。ザカリアは恐れに包まれました。しかし祭司として、特別な主の聖所で、主の天使が現れてなぜ恐れるのでしょう。そこでは、日々当たり前に聖なる儀式が行われていました。それは普段、誰にも邪魔されることなく、いつもの手順通りに行われていたことでしょう。それを主の使いが邪魔をします。私達の礼拝は、信仰生活は、そのように、主の使いが邪魔に入っても喜んでそれを受け入れることができる開かれたものになっているでしょうか。願わくは、そうであることを願います。
 ザカリアはそうではありませんでした。それで、洗礼者ヨハネは、ザカリア夫妻のもとに生まれないのでしょうか。そうではありません。ただ、実現までの間、口を利くことができなくされます。19・20節です。信じなかったとしても、救いからもれるとか、神の計画が変わるということはありませんでした。ただ口が利けなくなります。何カ月も口が利けないのですから、これは大変なことです。しかしそれだけで、神は彼ら夫婦をゆるします。沈黙が、私達の信仰においてなぜ大切なのかといえば、神の言葉をきちんと聴くためです。私達は必要な沈黙や必要な信仰をもって、神の呼びかけに応えていきましょう。