これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年4月26日「来るべき方」(マタイによる福音書11章2~6節)

 先週主イエスは、弟子たちを派遣するにあたっての言葉を終えられました。今日は新しい展開、洗礼者ヨハネです。ヨハネが自分の弟子たちを獄中から主イエスのもとに派遣します。2・3節です。なぜ主イエスが洗礼を授けて欲しいと願った時には、「私にはその靴紐をほどく値打ちさえない」と言ったヨハネ、私よりも後に来る方、主イエスについて預言したヨハネが弟子たちを派遣するのでしょう。そこにあるのは、「本当にメシアはこの方でよいのか」という疑問です。ヨハネが期待していたのは、自分よりも激しく「最後の裁き」を語るメシアでした。「消えることのない火で焼き払われる」方でした。ところが、獄中にいるヨハネに聞こえてくる主イエスの評判は、それとは異なるものでした。多くの人をいやし、貧しい者達に福音を語る方でした。主イエスのヨハネの弟子達への答えがそれを示しています。4・5節です。ヨハネの抱いていたメシア像と、実際の主イエスの違い・ずれ・相違を感じ、疑問に思いました。これはヨハネだけの問題ではなくて、当時の多くのユダヤ人が犯した過ちです。実際、主イエスを「十字架につけろ」と叫んだ人々は、メシアに植民地をはじめ、様々な抑圧や不正義からの解放を求めていました。しかしそのような彼らのメシア像と、実際の主イエスが全く異なるので、つまずいたのです。現代においても、そういう実際の主イエスを受け入れないで、自分のメシア像に固執する方々はおられます。そういう方々は、自分のメシア像が変わり、自分自身が変わることを拒否します。だから決して真実の主イエスを知ることができません。最後の6節です。私達はいつも、自分が抱くメシア像に固執しないで、変革され続けることに開かれていたいと願います。そしてそれは、ただ、三位一体の神への信頼の中でだけできることです。