これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020-01-01から1年間の記事一覧

2020年12月27日「離婚の話」(マタイによる福音書19章1~12節)

今日から三つのこと、離婚(結婚)、子ども、そし財産の話です。どれも、具体的な「誰か」との対話です。しかし後の二つと異なり、今日の一つ目の対話は、ファリサイ派の人々が、主イエスを試そうとしています。3節です。それに対して、主イエスは、丁寧に…

2020年12月20日「インマヌエル」(マタイによる福音書1章18~25節)

クリスマスおめでとう。 今日は降誕礼拝として、講解説教を一回お休みして、インマヌエルの箇所です。「イエス」の名前の由来として、イザヤ書の「インマヌエル」が挙げられています。以前、友人をクリスマスの礼拝に誘ったとき、ちょうど同じ聖書箇所でした…

2020年12月13日「七の七十倍までも」(マタイによる福音書18章21~35節)

今日の主イエスの例え話は、ペトロの問いをきっかけとしています。21節です。「仏の顔も三度まで」などといいますが、当時のユダヤでは、三回までは赦しなさいというのが一般的であったようです。ペトロは、主イエスは普通と違うので、一般に言われている…

2020年12月6日「二人または三人が」(マタイによる福音書18章15~20節)

今日の聖書箇所前半で述べられていることは、戒規の元になった主イエスの教えです。15~17節です。今日は三つのことだけを申しましょう。まず第一に、主イエス、そして初代教会は、罪の問題を本当に真剣に捉えていました。諸外国の教会は知りませんが、…

2020年11月29日「迷い出た羊」(マタイによる福音書18章10~14節)

今日の羊の例えは、ルカによる福音書にもあります。ルカでは、その後に失われた銀貨の例えと放蕩息子の例えがあります。この三つがセットになって、失われたものが見出される、天の(神の)喜びが表現されています。マタイでは少し短くて、また文脈も異なり…

2020年11月22日「躓きをもたらさないために」(マタイによる福音書18章1~9節)

今日の聖書箇所は、「そのとき」ではじまっておりますように、前回の箇所と緩やかに繋がっています。まず、1節です。ペトロの特別扱いが、彼らの問いの引金かもしれません。弟子たちは、まだ十字架と復活が分かりませんから、神の国(支配)を誤解しており…

2020年11月15日「神殿税」(マタイによる福音書17章22~27節)

今日は税金の話です。この世的な知恵として、税金について語ることは多くあります。しかし今日は、聖書にそって、この箇所で何が言われているかだけをみましょう。三つのことを申し上げます。 まず第一に、二回目の受難予告(22・23節)と、その後の税金…

2020年11月8日「山を下りて」(マタイによる福音書17章14~23節)

前回は、山上の変貌の記事でした。現代の私達には少し分かりにくいのですが、イエス・キリストの決定的な栄光の現れです。主イエスは、その栄光にとどまり続けるのではなくて、山を下りてきます。16節までが、今日の聖書箇所の主イエスの言葉と癒しへと導…

2020年11月1日イエスの姿が変わる(マタイによる福音書17章1~13節)

今日の聖書箇所は、とても有名な山上の変貌の記事です。福音書の頂点・分水嶺です。ここから先は、まっすぐに十字架の死へと向かっていきます。今日の聖書箇所最後、洗礼者ヨハネの話にそれは出てきます。10~13節です。実はエリヤであったヨハネを人々…

2020年10月25日「サタン、引き下がれ」(マタイによる福音書16章21~28節)

福音書の頂点・分水嶺は、前回のペトロの告白と次章の山上の変貌です。そしてこの二つの出来事に挟まれる形で、最初の受難予告がなされています(今日の箇所です)。これはペトロの告白に呼応してなされました。21節です。しかしペトロはこの主イエスの告…

2020年10月18日「この岩の上に」(マタイによる福音書16章13~20節)

福音書の頂点・分水嶺は、この16章のペトロの告白と次章の山上の変貌です。なぜこの告白が頂点なのでしょう。三つの点に注目しましょう。まず第一に、人々の言葉ではなくて、「あなたがた」の告白、自分の言葉として責任ある発言だからです。13~16節…

2020年10月11日「しるしを欲しがる罪」(マタイによる福音書16章1~12)

福音書の頂点・分水嶺は、この16章のペトロの告白、そして次章の山上の変貌です。ここから先は、十字架へ向けて一直線に進んでいきます。その前に・今日の箇所に、既にユダヤの(宗教)指導者たちと主イエスの対立が激しく描き出されています。 まず彼らの…

2020年10月4日「主は憐れむ」(マタイによる福音書15章29~39節)

前回の箇所、カナンの女の信仰の箇所とは異なり、今日の聖書箇所には目新しいことは何もありません。前半は、主イエスの癒しの(纏めの)記事です。後半は、前の章にありました五千人の給食とよく似ています。今日は三つのことだけをみてみましょう。 まず第…

2020年9月27日「食卓から落ちるパン屑」(マタイによる福音書15章21~28節)

一般に福音書の頂点・中心は、もう少し先です。ペトロの信仰告白や山上の変貌の記事です。しかし私は、それ以前、今日の箇所にこそ決定的な出来事が起こっているのだと思います。この箇所に出てくるのは、主イエスとカナンの女と弟子たちです。弟子たちは脇…

2020年9月20日「人をけがすもの」(マタイによる福音書15章10~20節)

今日の箇所は、前回の箇所と合わせて一まとまりです。きっかけは、ファリサイ派の人々と律法学者たちの問いでした。前回の箇所では、父と母とを敬えという戒めがないがしろにされている、そこに昔の人の言い伝え(あなたがた自身の言い伝え)の最大の問題が…

2020年9月13日「神の言葉を無にする罪」(マタイによる福音書15章1~9節)

今日の箇所は、次回の箇所と合わせて一まとまりです。今回は、一度に語るのは無理だと感じました。前半を今日、後半を次回みてみます。きっかけは、ファリサイ派の人々と律法学者たちがやってきて、問います。1・2節です。ポイントは、「エルサレムから」…

2020年9月6日「信仰の薄い者よ」(マタイによる福音書14章22~36節)

今日は、五千人の給食の直後の記事です。主イエスは弟子たちを船出させます。22・23節です。「強いて」とあります。弟子たちの中には何人も漁師の人がいますから、湖の様子から船を出したくなかったかもしれません。しかし主イエスは彼らを行かせます。…

2020年8月30日「ヨハネの死と給食」(マタイによる福音書14章1~21節)

今日も前回同様、二つの部分をまとめて読みます。その対比をきちんと捉えるためです。時間的な流れから言いますと、一つ目の記事と二つ目の記事は繋がっていません。1・2節から、ヘロデが洗礼者ヨハネを以前に殺していて、そのヨハネが「生き返った」方と…

2020年8月23日「ナザレで」(マタイによる福音書13章51~58節)

今日の聖書箇所は、明らかに二つの部分からなります。前半の、天の国のことを学んだ学者と、後半の、主イエスが故郷で受け入れられない話です。二回に分けて語ろうか迷いました。しかし今回は一回で語ります。 まず前半をみましょう。今まで語られてきた天の…

2020年8月16日「天の国は」(マタイによる福音書13章44~50節)

今日もまた、天の国の例えの続きです。種蒔きの例えも毒麦の例えも、そしてからし種とパン種の例えも、既にみました。例えというものには、説明的言語と異なり、決して汲み尽くすことのできない豊かさがあります。今日も三つの例えから、そのような豊かさの…

2020年8月9日「広がりゆく神の支配」(マタイによる福音書13章31~43節)

前回は平和聖日で、毒麦の例えから、消極的平和をみました。前回申し上げましたように、種蒔きの例えと毒麦の例えとは、似た構造になっています。例えと例えの解説の間に別のものが挟まれています。今日の箇所は、短いながら、四つの部分からなります。第一…

2020年8月2日「毒麦を抜くな」(マタイによる福音書13章24~30節)

今日、日本基督教団では、平和聖日と定めています。以前、積極的平和ということが話題になりました。この国ではかなり歪んだ理解でしたが、今日はそのことがテーマではありません。むしろ消極的平和ということを今日の聖書箇所からみてみたいと思います。こ…

2020年7月26日「なぜ例えを用いるのか」(マタイによる福音書13章10~17節)

今日の箇所は、種蒔きの例えとその説明に挟まれた部分です。なぜ(弟子たちが直接天の国の秘密を悟ることが許されているに)群衆は例えを用いて間接的にしか聞くことができないのか、弟子たちが主イエスに聞きます。10節です。主イエスはお答えになります…

2020年7月19日「種を蒔く人」(マタイによる福音書13章1~23(10~17を除く)節)

今日の箇所は、いつもと異なり、10節から17節を省いています(次回扱います)。前半が種を蒔く人のたとえそのもので、省いた部分がたとえを用いて話す理由、そして後半がたとえの主イエスご自身による説明です。しかし学問的には、たとえそのものは主イ…

2020年7月12日「主イエスの家族となる」(マタイによる福音書12章46~50節)

今日の箇所は、ベルゼブル論争と天国の例えの間に挟まれた箇所です。「なお話しておられるとき」が前回までとの繋がりを示しています。また、「天の父の御心を行う」という言葉が、次回からの天国の例えへと繋がっていきます。最初の2節が、今回の出来事の…

2020年7月5日「空白はいけない」(マタイによる福音書12章43~45節)

ベルゼブル論争からはじまった箇所は、今日の主イエスのたとえ話で終ります。このたとえ話に出てくるのは、汚れた霊です。例えの出来事自体はとても単純です。汚れた霊がまず、誰かから出て行きます。43節です。なぜ出て行くのかは描かれていません。休む…

2020年6月28日「罪に定めるもの」(マタイによる福音書12章38~42節)

前回まで、ベルゼブル論争の主イエスの言葉でした。悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのではない、既にここに神の霊、聖霊が来ているのだ。聖霊を冒涜し、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されない。そして人は、裁きの日に自分の言葉によって裁かれ…

2020年6月21日「自分の言葉によって」(マタイによる福音書12章33~37節)

今日の聖書箇所は、前回の箇所と密接に繋がっています。前回は、ファリサイ派の人々の暴言に対して主イエスが語り始めました。聖霊を冒涜する罪、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されることがないと語られました。今日の箇所では、「自分の言葉によって」、最後…

2020年6月14日「赦されない罪」(マタイによる福音書12章22~32節)

新しい単元に入って三回目です。今日の箇所ではまず主イエスが、一つのいやしをなさいます。それに対する群衆の反応は、23節です。とても素直な反応です。しかしファリサイ派の人々の反応は全く異なります。24節です。よりによって、悪霊の頭ベルゼブル…

2020年6月7日「殺害の計画と救いの実現」(マタイによる福音書12章9~21節)

先週から新しい単元に入りました。ファリサイ派の人々と主イエスとの対立が高まっていきます。今日の箇所では、ファリサイ派の人々の目の前で、会堂で安息日規定を破ります。前回の出来事と恐らく同じ日、主イエスは会堂に入られます。安息日です。そこで、…