これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年8月23日「ナザレで」(マタイによる福音書13章51~58節)

 今日の聖書箇所は、明らかに二つの部分からなります。前半の、天の国のことを学んだ学者と、後半の、主イエスが故郷で受け入れられない話です。二回に分けて語ろうか迷いました。しかし今回は一回で語ります。
 まず前半をみましょう。今まで語られてきた天の国の例えの締めくくりです。51・52節です。学者とはこの場合、どういう意味でしょう。皆さんは学者というとどういうイメージをお持ちでしょうか。その分野について、素人の人よりも詳しく知っています。そして、自分の倉から新しいものと古いものを取り出します(一般に主イエスの新しい教えと旧約聖書ですが、それ以外にも様々な解釈ができます)。天の国の学者ですから、天の国(天国、神の支配)について知っているということでしょう。それは、単に知識として知っているのではなくて、今生きる自分の現実として神の支配を知っている、神の支配に生きる方が、(自分であれ他者であれ)人間の支配に生きるよりもはるかに自由で素晴らしいことを知っています。私達が神の支配を生きることの喜びを知り、それを伝える者となる、これが天の国の例えの締めくくりです。
 53節以下には、それとは正反対の主イエスの故郷の人々の姿が描かれています。彼らは、主イエスの教えに驚きます。しかし驚くだけで、信じません(58節、不信仰)。どこから(54、56節)と問うのならば、人間イエスにその源泉を求めるのではなくて(それは失敗します)、主イエスの宣教の言葉の中で、父なる神こそが彼らの「驚き」の源泉であることに気付くことが大切です。主イエスを通して神を信じることへと私達は招かれています。